犬と猫とフェレット

2019年になって、動物と暮らしたい熱が急上昇している。そんな話を会社でしたら「寂しいの?」と言われた。どんな寂しさかわからないけれど寂しいのかもしれない。逆説的に寂しいが好きだったりする。寂しいは切ないも入っていて、人の根底には寂しいがあると思っている。一人で生まれ、1人で死ぬ。そう考えるだけで寂しい。その切なさをもって世の中を見たときに、時間の尊さがくっきりし、メロディや優しさがうまれたりするんだと思う。動物と暮らしたい熱を達成するには、そういう環境の家に暮らす必要があり、今までより財力が少し必要で、時間も割かないいけないので、それと対以上となる自分の中での理由がないと事はそう進まない。

まず、犬がすごい好きだ。もっと戯れたいけどシャイな自分は、外で歩く他人の子(犬)にベタベタできない。それにもしかしたら噛まれるかもと少し思っていたりもするのでビビっている。昔、長く一緒に暮らしたベル君は、凛としていて、犬の人間の鑑みたいな犬で、優しく健気な思い出がある。死ぬ直前に当時の職場で残像が見えた。その直後に母親から号泣した電話を受け取り、実家に戻ったという思い出がある。今ならもっとお世話をし、彼の気持ちになり、寄り添い一緒に尊い時間を過ごせる気がしている。子どもたちが生まれ、命に対する責任とともに、尊い出会いに惚れている自分がいる。そんな出会いを子どたちに届けてみたい熱でもある。柴犬とビーグル犬。二匹を希望している。買うんじゃなくて里親で探そうと決めている。一方、猫は一緒に暮らしたことはない。猫が好きな女性とは付き合ったことが何度かあり、家に行くといらっしゃった程度の付き合いだ。単純に猫と暮らさずに死ぬのは勿体ないという気持ちだけで、猫と仲良くなれるか甚だ心配だ。最後にフェレット。今は生き物禁止のマンションなので、フェレットなら・・とインスタで飼っている人のポストを見て、可愛いと家人も一緒に盛り上がり、すでにアドバイスをその方から受けている。寒さにとても弱いことや死因がほぼ決まっていること、お金がとってもかかることなどちゃんとしたことも教えてもらっている。覚悟がないといけないわけです。もし我が家にそのうちの誰かがきたら、お別れするその時までお供し続ける所存です。そう考えると会う前から寂しいな。