犬と猫とフェレット

2019年になって、動物と暮らしたい熱が急上昇している。そんな話を会社でしたら「寂しいの?」と言われた。どんな寂しさかわからないけれど寂しいのかもしれない。逆説的に寂しいが好きだったりする。寂しいは切ないも入っていて、人の根底には寂しいがあると思っている。一人で生まれ、1人で死ぬ。そう考えるだけで寂しい。その切なさをもって世の中を見たときに、時間の尊さがくっきりし、メロディや優しさがうまれたりするんだと思う。動物と暮らしたい熱を達成するには、そういう環境の家に暮らす必要があり、今までより財力が少し必要で、時間も割かないいけないので、それと対以上となる自分の中での理由がないと事はそう進まない。

まず、犬がすごい好きだ。もっと戯れたいけどシャイな自分は、外で歩く他人の子(犬)にベタベタできない。それにもしかしたら噛まれるかもと少し思っていたりもするのでビビっている。昔、長く一緒に暮らしたベル君は、凛としていて、犬の人間の鑑みたいな犬で、優しく健気な思い出がある。死ぬ直前に当時の職場で残像が見えた。その直後に母親から号泣した電話を受け取り、実家に戻ったという思い出がある。今ならもっとお世話をし、彼の気持ちになり、寄り添い一緒に尊い時間を過ごせる気がしている。子どもたちが生まれ、命に対する責任とともに、尊い出会いに惚れている自分がいる。そんな出会いを子どたちに届けてみたい熱でもある。柴犬とビーグル犬。二匹を希望している。買うんじゃなくて里親で探そうと決めている。一方、猫は一緒に暮らしたことはない。猫が好きな女性とは付き合ったことが何度かあり、家に行くといらっしゃった程度の付き合いだ。単純に猫と暮らさずに死ぬのは勿体ないという気持ちだけで、猫と仲良くなれるか甚だ心配だ。最後にフェレット。今は生き物禁止のマンションなので、フェレットなら・・とインスタで飼っている人のポストを見て、可愛いと家人も一緒に盛り上がり、すでにアドバイスをその方から受けている。寒さにとても弱いことや死因がほぼ決まっていること、お金がとってもかかることなどちゃんとしたことも教えてもらっている。覚悟がないといけないわけです。もし我が家にそのうちの誰かがきたら、お別れするその時までお供し続ける所存です。そう考えると会う前から寂しいな。

久しぶりに夕方の海へ

家族でゆっくりと、海へ夕方散歩した。家から徒歩7分ほどで海には着くが、ゆっくりと散歩をする場面は少なく、減っていた。長女が小さい時は、そんな時間が大事で、幸せで、ゆっくりと子どもや家人と歩くことを目指していた。下の子が生まれ、長女は保育園に行き、家人も働きだすと忘却することもある。取り立てて忙しすぎることはなく、そうならないようにブレーキをかけながらアクセルを踏んでいる私たち家族は、緩やかに日常に漂っている舟だ。家人は貝を拾い、長女は砂団子を作り、長男は掘ったり動き回ったり。自分は、そんな家族と周りの風景をみていた。本を読む人、仲間や恋人と海に来た人、犬と散歩している人、ゆっくりと散歩している人、走っていたりサーフィンしている人、そんな感じだ。柔らかい空気がある。ないものもいっぱいある。ゆっくりと夕方に散歩できる僕らは、今とても幸せなんだと思う。海を見れば津波や地震をすぐに思い出す。富士山をみたら噴火もあるかもなんて思う。事故や病気や不仲は、、限りある時間でただ遊ぼう。漂う舟を、なるべくいい感じで漂う為に、時折、陸地について散歩をしよう。世の中、不安や嫉妬という見えない病があり、夢中になってすれさえいれば、気にもならないものだけど、一度熱中から覚めるとその病がすぐ、角から顔を出す。そんなときは散歩だと思う。歩行で海に来れば、誰かを思い出し、会いたくもなる。そんなチカラが春の海にはある。

失礼こかせていただきます

という決め台詞を気に入っている。思わず、笑みになるということの良さがある。くだらない、親父ギャグ的な部類だが、現代の子ども向けのアニメでの決め台詞なので、子どもから教わった。初めて聞いた時は、子どもが丁寧語を使うことに驚き、その中身の阿保らしさに、すぐもう一回言って!と言っていた。聞きたくて。確かめたくて。そういうライトな言葉や文が会話の中ですんなりいくときほど、心地よいことはない(もしくは何の違和感もない状態)。その逆を考えると、対人関係では霹靂したりイライラしたりする。おおらかやしなやかさみたいなものは、育むことができない特別品に思う。信念的なことでもあるだろうし、周りの自然や家族や愛する人や仲間からもらえる頂き物も加味して、変遷していき、やっと身につくものかもしれない。仕事をしていると、営利がある関係性は特に、共通言語を持っている人に会うことのほうが少ない。そんなことの繰り返しだと逆に自分の間口が狭いということで引き起こしている感が強まり、へこむ。やせ我慢も出来る人も常々偉いなと思うし、周りを明るくさせるコミュニケーションを取れる人も美しきソールを持つ勇者にみえる。時より見つける、素敵なやり取りができる人は、見つけた感があり、とても印象深い。そんな出会いが令和で沢山訪れるように、やりまっせ。

イチロー引退したり、ピエール瀧つかまったり、

色んな事件が世の中を賑やかす。水面下では色んな草の根で悲喜こもごもがある。有名人はそのギャップが大きいのでインパクトがある。「そんな風に思わなかった」とはよくもまぁ世の中鈍いなと思う。俺は鋭いぜと言いたいわけではないし、もっと色々な経験を体験している人は沢山いて、その鈍感さをきっと苛立ったり、平和だなと安心したりしているのではと思う。「この近所でこんなことがあるなんて」や「このエリアでこんな災害があるなんて」や「あの人がこんなことするなんて」とは、よくよく考えれば、都合の良い見立ての連続で、一瞬そう思うことはあっても、その一瞬後にはまた都合よく世の中をみていると恥じるべきことだと思う。なんでも深く洞察し、構えていることが素晴らしいわけでもないし、肩の力を抜かずに生きるなんて中々しんどいから出来ることは尊いことかもしれないが、都合の良い見立てほど必要ない代物のような気がする。楽観的な感覚とはこういったことで活用するのはなく、不都合なこともありうるを前提に、装備されているのであればそれはきっと役立つ感覚だと思う。行動だけでなく思考も停止している世の中を人は平和ボケと呼ぶ。平和でボケてて何が悪いんじゃいというのもわかるが、平和でぼけていますと分かっていることや、いつかは何かがあるかもしれないから気を付けながら生活や仕事や国をみていながら平和ボケならいいボケ(幸せ)だ。

イチローの引退につまった彼の活動量と意志には敬服するし、ピエール瀧のドラッグなんてたいした事でもないので、出所したらまた彼らしくやってほしい。

世間という当事者じゃない中身のないオバケに惑わされるなら、ネットもテレビもみないほうがいいね。裸眼でゆこうよ。

 

結婚記念日

色々忘れないようにと、籍をいれたのは3月11日。2014年のことである。2011年の3月11日以降、を平成の現代に生きる生活者へ大きな変化をもたらせた。原発から離れるために福島から遠くへいった人たちもいる。生き方働き方を見直す心理も根強く残った。その後、グローバル化や仕事ばかりの人生、都会型の暮らしに霹靂し、新しい生き方を模索し、模索することにも疲れた人も多くいるだろう。その嘘や上っ面のカウンターがヘイトな社会現象や不寛容さに繋がったりして、分断もされている印象が個人的にはある。何かから逃げるように地方へ向かっても地方も迷惑だろうし、本人もつらい結果や経過もあるかもしれない。

でも何かから逃げてもいいし、地方も少子高齢化の大きな課題を打開できないままだから、逃げてがきっかけでも都会から地方への循環の一助になればそれは結果オーライなはずだ。嘘をつかないほうが重要だ。一度しかない人生は、不安や焦燥感、みじめさもそれぞれに完備されているものだと思う。見栄張りや置きにいった時間の使い方ほど無駄なことはない。そんな社会の空気。社会の窓とよばれるズボンのチャックからそんな空気がぬけてほしい。

それほど嘘なく、身の丈にあった暮らしをしていたんではないかと思われる東北のご老人たちが、生きがいを失い、お金がなくもやしなどで凌いでいる姿を映像で昨日もみた。お酒におぼれて、浮遊感を一瞬だって味わたいだろう。そんな過酷な惨状を見て見ぬふりはできない。不器用に闘っている彼らや彼女らや周りの人たちと俺たちは繋がっているのだ。ハッピーエンドをのぞむのは悪いことじゃない。でも沖縄問題も震災もエネルギー問題も孤独に追いやられている人たちも隠して、都会で気流に器用にのれている人たちに牛耳られるほど神様は不均等に作ったりはしないさ。アップル、アマゾン、FB、グーグルたちよ、これからはきっとローカルの時代なんだぞ。

コツコツと

5分で書いてしまおうと思う。最近のことを。今年はスタートよりコツコツをイメージしていて、身近にあるものを直したり、大事にしたり、見直したりもコツコツではないと言われればそうなのはわかるが、コツコツというカテゴリーに入れている。洋服や生活道具の整理を今まで以上にした2か月だった。その活動はとても心地よく、生活に潤いをもたらす。モノを大切にする心ってやつだ。そういう視点でモノをみていると、新品もいいものがやってくる気がする。自分にとっての新品の話。

「遠くにありて」西川美和、「大人(は、が、の)もんだい」五味太郎、「あの人に会いに」穂村弘、マガジン「GO」蜷川実花、「宮本から君へ」新井秀樹&真利子哲也監督&池松壮亮、創作版画(山本鼎、石井鶴三、長谷川潔)、mononoaware、Betcover!、Momなどの日本の若手音楽家たち、、外国だとケミカルブラザーズ「Got  To Keep On」PV、グラミー賞を取ったチャイルディッシュ・ガンビーノ「This is america」PVなどなどはもう自分の新たな境地に行かせてくれた錯覚すらする良作ばかりだった。20分もかかってる。大好きな「家についていいですか?」がはじまっちゃう・・

休みの日には空に豆巻いて

去年と違い、休みの日に外出が多くなったと思う。浅い付き合いの人との会合にも顔を出す気力も高い。何をしようかと思いつくアイデアも順調に思いつく。行き切れずに困ったというほどでもなく、いい案配だ。家人がオススメしてくれるところが本当にいい。自分じゃ見つけられない催しや場所を提案、紹介してくれる。一緒に行ったり、手分けしたり、インスタやネット上で拾ってくる情報を手掛かりに、自分たちの好みの場所を限られた時間でいけることは快感のひとつかもしれないと今も思う。先週の日曜日は、今まで1番の蕎麦屋を近所にみつけた。これも家人のインスタから得た情報。また行きたい!という蕎麦屋がなかった二人にとって、近所にあるとは目から鱗、青天の霹靂。その後行った茅ケ崎美術館で見た創作版画の作品たちはおそらくほぼ自分が大好きなテイストで、知れてよかった!とほくそ笑んだ。

その美術館で長女が体験入会したデザイン教室も、本人も気に入ったようでこれからの行く場所となった。夕方には2週間前に訪れた「着るアフリカ展」の催しの無料ライブがあった。コンゴのポピュラーダンスミュージックのリンガラ音楽をコンゴの方々が90分演奏。案の定、満員会場はスタンディングで踊っていたし、自分たちも踊った。そんな日は、こうでなっくっちゃと何も考えずに笑顔で寝れる。こういう気持ちや気分を長くは続かせないような事件や事故のニュース、もっというと不寛容な世間を最近感じてやまない。まだ直接的な被害はほぼないが、電車で嫌な気持ちになることもあるし、絡んでくる輩もいたし、何よりこれから出現するのではと思ったりする。それは肉体的な意味だけではなく、精神的な圧をかけてくる人もSNSも含めているだろう。昔から大好きだった、新井英樹原作の「宮本から君へ」をnetfrixで見た。ご本人も登場しているが、作品のクオリティは漫画にそう遠くない。不器用で優しく、闘っている主人公とその主人公を甘やかさず、でも優しく応援する取り巻きのその物語は、いつの日も人や社会が忘れちゃいけないものを表現し、自分もそれでいこうと思える。うまくいかないことがあっても、戻ってこれる。そういう余地や寛容さが人の思想の根底には必要だ。もっと優しく強くなりたい。

ライブをした日

17日に、成増ziziでハズレッシヴLIVEをした。ライブをした帰り道は、希望と落ち込みの按分がだいぶ出来とその会場での会話や流れによって違う。ナイーブな感じもありすぎるのかもしれないし、練習不足に尽きるだけの話だったりするのだが、そんなライブ後の帰り道は機材の重たさと、体力的なLIVE疲れ、酒飲み後の疲れ、もう終わってしまった寂しさと無念などが入交、やっとの思いで家に着く。雨の日なんて最悪だ。いいライブだったなと思って帰る日が少ないのが諸悪の根源か。2000年結成のバンドとなると対バンはだいたい年下で、昔見たことありますなんて会話を頂いたり、どのあたりの話をしたらいいか不明のまま、打ち上げに参加したりと、漂流物のような状況で時を過ごしたりもした。でも、前とは違って、そんなところにも身を置きたくなって、気持ちは積極的に打ち上げに参加したのだ。

長さ故もあって、わざわざ見に来てくれる人たちも懐かしい人達も多く、それはそれで祭りだ。そこが何よりハッピーエンド感をもたらすし、そのみんなと次の道が開き、ライヴ翌日のLINEのやり取りは忍者カッパツ君だ。ライブ翌日あるあるかもしれない。

今回のハイライトは他にもあった。会って二回目のぼあさんが見に来てくれて、沢山はしゃいでくれたこと、かもめのジョナサンのドキュメンタリー映画を撮っているハルオさんが見に来てくれてインタビューを取ってくれたこと、会場のマスターがいい人だったこと、主催者たちのやる気に触れられたこと、、そして4人でライブ出来たこと。結果、現状維持ではいられない焦りや情けなさや刺激をもらい、またやる気にさせられる。あんなに辛い帰り道気分だったのに。

ナンバーガールも復活する。俺の音楽魂も復活させたい。その為には悔しい気持ちが一番の栄養なんだと思っている。

2019年2月という記号のごとし月間よ

2019年2月をいつの日か思い出せと言われたら、月単位でも思い出せないだろう。残り3週間でひどく悲しいことやめっちゃ嬉しいことがあったら、忘れらんねんぜとなるかもしれない。めっちゃ嬉しいこともいらないから、ひどく悲しいことよ起きないでくれ。これを保守的というんだろうか。

積み重ね以上のジャンプアップな嬉しいことに期待するということが、とても不健全で、自分に不必要な感が2019年2月はしている。宝くじがあったら嬉しいだろうが、お金以外は何も変わっていないので、下手したらよくないことのほうが多く起きるかもしれない気が当たる前からするな。もしあったら全部誰かや何かに全額しよう。そもそも宝くじを買わないのだけど。

2019年からほぼほぼ勝手に自宅勤務を週一でいれている。ちなみに今日も。家にいても会社にいても仕事のはかどり具合は変わらない。移動時間の短縮という画期的なことやリラックスして仕事にのぞめるので自宅勤務は週一あるのがベストだ。日々成長する子どもの姿もみれるし、家人のちょっとした手伝いもしやすいし。

最近、仕事で色んな業態の人たちと会っていて、あっという間だ。なんだか集中している。思い起こせば2019年のスタートは良くなかったが立て直された。そしてまた月日ともに状態は変わるだろう。

そんなことよりどうだい、ちゃんとコツコツと進む道を歩んでいるか。それだけだぞと記しておきたい。

世の中は、不寛容で息苦しさも増しているようにみえる。

家族のみんなは今を一歩一歩進んでいる。

友だちとはあまり会えないので様子は断片的にしかわからない。

時間は有限なんだぞ。

ちゃんと感動して生きていけるようにがんばれよ、自分。

オタク道

昔、TV番組でタモリが言っていた。男たるもの負けず嫌いで、飲み屋なんていくと知識がどちらがあるかを競い合うような感じになる。でもそんなことを受け流す男がいる。それが井上陽水だと。そういう人間には勝てないし、中々なれたもんじゃないと。だいたいそんな感じだったと記憶している。20代頃、音楽の知識だけは負けたくないと思い、よく友だちと競い合っていた。会うと「何聴いているの?最近」というやり取りを仲間たちとよくしていた。お、きたなその質問となり、その質問を受ける前から、準備をして家を出ていた。さも知っていたような感じにする見栄の張り方も多分にあったが、その見栄をきるために頑張って聴いていたし、一時期はなるべく知りえない音楽ジャンルがないように頑張っていたと思う(特に日本のサブカル)。たいして良くわからない音楽も知っているような顔したり、カテゴライズしていたことは今思えば若気の至りの痛恨の極みの笑止千万だったと思うが、例えばタワーレコードのマンスリーフリーペーパーの、bounceの全頁を読み漏れしないように自分に課して色々と身近にあるものを情報入手していた。ライブハウスのフライヤーも片っ端からもらってきて(というかしょっちゅう、ライブを見に行っていた)、バンド相関図を作れるんじゃないかというほどの熱の入れようだった。そもそも今の様な情報入手スピードがあったわけじゃないので(90年代後半から00年代前半話)、事態はそんなに動かないんだが、鳥取のトリレーベルがどうしていいのか、京都のオルグレコーズがなぜ秀逸なのか、大阪のタイムボムレコードが行ったことないがすごそうだとか妄信含め、そしてだいたい合っていたように思う。その危機感を満たしてくれたのが、新宿に当時あったロスアプソンだったし、ロスアプソン主の山辺さんが一目置いていたディスクユニオン新宿6Fのアバンギャルドコーナーでバイトしたもんだ。そこでは色んな人たちが一緒に働いていて、店長の佐藤さんは大のビートルズマニアで子どもにレノンとつけていたり、色々な音楽分野で活動している人たちやその後の今もその流れは脈々と続いており、折に触れ、その継続性とオタク道に感嘆している。結局、今、サラリーマンの世界でもフリーランスでも創作活動している人たちでも、面白い話をする人は何かのオタクだ。そしてそんな人が飲み屋の制空権を持っていると思うし、誰かに認められやすい傾向が強い。今となってはオタクなものは何一つないのだが、やや音楽だけは少しプライドがニョキニョキとする場面があり、一方で小ちな湖程度の話しかもっていないので、音楽知識の沢山ある人の前では、閉口してしまう自信もついてしまった。そんな話でした。

mono no aware

mono no awareというのは、友だちが教えてくれたかっこいいバンドの名前だ。その中で「東京」という曲はなんだか懐かしく、でも初めてでドキドキする。そんな素敵な音楽を教えてくれる友だちがいる。感謝だ。

かもめのジョナサンこと佐原君が写真集を出した。そこには巻頭4万文字のインタビューがあり、そこに俺の名前が5,6回出てくる。

命の恩人だとも書かれていた。どこかで誰かに何かが残ることが夢のような結果。それが作品だったら最高と思っているアーティストは大勢いるだろう。一人でも残れば。こんなに嬉しいことはない。そんなことが12月に知れて、帰りの電車で涙が出た。

こんなブログだが、読んでくれる人がいてたまにコメントをもらうと嬉しくて仕方ない。大阪に住む、弟のような同志のようなファンのようなその絵本作家を目指すアーティストからもたまにメッセージをもらう。以前、たまたま出会った職場で熱く夏を過ごし、自分の大阪時代のハイライトとなる宝物の出会いだった。彼が彼なりに成功することを心から祈っている。

ブログには本心を書くことで、誰かに読んだもらうことで、気持ちの何かを消化させ、心模模様を昇華したいと思っている。全部を流さず、一部の気持ちを記録する。そんな作業が自分にはたまにほしい。そこで出る吐露は、それが自体が処方箋となっていて、自分の正気を保っているのかもしれない。文字を紡ぐことの大切さもまた感じる。

京都に住む友だちは、俺の弱さや儚さを感じ取り、ブログという文字のテレパシーを受け取ってくれ、メッセージをくれる。ぬくもりのある友人がいてくれるこちに安堵し、感謝という言葉が胸に浮き出る。

先日、20年来の友人たち十数名と新年会をした。みんな大人になり、パワーが落ち着いたと思った。はっちゃけられるエネルギーもまた恋しい。バカ騒ぎとは言わないが、バカになれてた仲間とバカにならず飲み会をするのはなんだか寂しいなと思った。みんな家族が出来たり、手の届く範囲でしっかりと活動ができている証拠なのだが、妙な大人しさにも感じ取れ、1人だけはっちゃけた人がその飲み会にはいて、彼だけが今を強く生きているような光を感じたりもした。

自分ももっと飲み会に全力だったのになと思ったりしながら、最寄り駅から懐かしい歌を歌いながら、月をながめて帰った。

いろんな友達たちよ、俺よ、何かでっかいことしようぜ。byくるり

どなたか

良きご縁がありましたら、お仕事をご紹介ください。

私は、部長、次長、課長、係長、店長、家長、長男、遊びの隊長、の経験もしくは現在も担っています。

そんな私は、組織では副隊長のポジションが最高数値を出せると考えております。

私は、これだ!と思ってからの加速力、集中力はあります。

私は、面白き事なき世を面白く、なお仕事が好きです。

私は、海のそばに住んでいます。

私の両親と妹と家人はとても真面目に生きています。

私は、ラッキーな男だと思い思われています。

私は、肩こり、頭痛、花粉症になったことがありません。

私は、育てるべき子どもがおります。

私は、グッドメロディを発見し、製造する力が普通の人よりはありそうです。

私は、料理をすることがどんどん好きになっています。

私は、甲子園、箱根駅伝、ラグビーなど学生スポーツを羨ましく思っています。

私は、よく眠り、よく涙を流し、食欲が旺盛です。

私は、昭和な街並みが好きです。谷根千、門前仲町、深川、神楽坂、月島、日本橋・・

私は、バンドや家族など数名単位のユニットが心地よく、適しています。

私は、出来ないことが沢山あります。

私は、失敗も沢山しています。

私の職業は人間です。

何かになれないことに焦りもあるので、お仕事の良縁も探しております。

この世を見るために、聞くために生まれてきました。とはまだ言い切れない。

言い切れるまではまだまだ探していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

2019年これから録

初めての長い年末年始だったというのに、だいぶ冴えない感じで時を過ごし、幸せを噛み締めるどころか、得意の自己嫌悪が顔を出す休暇となってしまった。最後は長女のインフルエンザ発祥だったので、途中の病気だった私と弟もインフルエンザだったのかもしれない。41年間初の病いの年始だった。3、4、5日と家族の雰囲気も自分の心もすさみ、似たような倒れた日々で、生産性のなさに自分の根性の問題かと夜、半分寝ながら落ち込んでいた。

時は帰らないということで、前を向くとしんぜよう。本田圭佑のようなメンタリティで。

1年間といいながらすでにもう1週間が経過し、想像を勝手にしていなかった床正月を終え、すでに1年間のうち2%が消化された。携帯電話の電池と同じように、100%を切ったらなくなるのはアッという間だわさ。アッという間と言いながらも、外に出て社会にいれば、いいこともそうでないこともトピックスは意外と山盛り起きてくるものだわさ。人生は小説より奇なりだわさ。なので予見してもほとんど意味がないのだが、向かっている節目となりそうなことだけは書いておこう。書けば何かを思いつくかもしれないし。

歩が保育園に行くかもしれない(最初、おそらく長女と違い大泣きするだろう)。さらが就職するかもしれない(受かればだが)。ひかりがバレエ以外の楽しき習い事が始まるかもしれない(気に入るのがみつかればだけど)。自分の親父の体調が心配だ(不仲でも親父は親父だ)。俺は今年は外で攻めるのではなく、内で支え、オタク化するのがベストポジションと思った。書き出してよかった。地道が一番効果的ですもんね。では。

子育ては豪華

子育ての真っ最中でその価値を正確に、客観的に見極めることはとても難しい。それができる人がいくつも用意されている壁をよりよく乗り越え、プロセスの集合体の結果が違ってくるのかもしれない。子育てという言葉だと一方的に子どもをペットのように育てているような単語だが、親もその中で育たないと到底成り立たない。自分のことだけで良かったところから、生活のすべてを自分が一番から外すことができる人へ進むのが親だ。それは言葉上では出来そうだが、それは簡単ではない。例えば睡眠欲。一晩ではなく、連続何日まで睡眠欲に打ち勝ち、子どもの要望にそって対応してあげれるだろうか。夜だけでなく朝、昼と続くとしたら。。

自分が一番でなくなることが元々自然とできる人はいるので、そういう人は大変さも内包して穏やかさが宿っている。勿論、それに余るほどの幸せが子育てにはある。毎日一緒にいて、同じことは大人以上に起きない。よく笑う。よく走る。よく喋る。よくくっついてくる。どれもこれも替わりになる楽しさ、喜びが思いつかない。

結婚については賛否両論があってしかるべきだと思うが、子どもを授かることについて、子どもと暮らす生活について、本当に豪華なことだと思うので、オススメだ。子どもの成長とともに暮らしていると、創造力を駆り立てる、生と死をもっと身近に考えるきっかけとなる、子どもの変化のスピードがはすさまじく速く、日々何かが出来なかったことが遠いところへいき、塗り替えられていくのを目撃できる。

道しるべのひとつとなるのが親だろう。特に幼少期は親と子はべったりそばにいる。いたほうがいい。双方にとっていいと思う。子どもはそもそも一人じゃ何もできないから親のそばにいなきゃならなし、沢山の愛情を糧にしている。太陽を沢山あびる植物のようなもので沢山がいい。親は、行動や性格が矯正されることも選択できる。行動は時間がとても貴重になるので、選択力が求められる。性格は根本的には変えられないかもだが、愛情が性格の固体を緩やかに破壊することを助長する。

子どもとあまり一緒にいれない、キャリアなお父さんやお母さんは、社会的にはとても成功していると思える。また、だいたいが20,30代で親になるパターンが多いから、社会的には一番頑張らなきゃいけない時でもあるので、苦渋の判断もあるだろうし、それで得れる対価も変え難いものだから、役割を果たしている。でも欧米のように、育休やテレワークがもっと普通であれば幸せを暮らしの土台から感じられると思う。幼少期に一緒に過ごす時間が少ないとして、でも濃い付き合いが出来ていたとしたら親離れ子離れするときも、よい距離感での親子付き合いは続いていくんだろうが、それができていないと帳尻を合わせるのはさぞ難しかろう。マザコンや母親と友達のように付き合える親子が多く誕生できるのも、母親の時間的に子どもに注いだ愛情の時間による賜物な気がする。父親を最終的に尊敬している人もたまには会うけれど、嫌いや苦手な人が圧倒的に周りに多い。父親のライフステージの変遷はちと悲しさも感じる。

幼少期にべったりいる親はちゃんと子離れできるのだろうか。ここでも客観的に見極めた言動が求められる。正解もない、夫婦や子育て、家族像。ただただ、愛し愛されて過ごす時間を持てたことだけは、一生の宝物になるに違いない。夢だったらさめないで。

家人とわたし

結婚して、6年目の春を次に迎えようとしている。震災は大きな影響を個人にも社会にも影響を与えたはずなのに、ちゃんと薄れていく。そのことを忘れないという小さな気持ちがあって、3月11日に籍をいれた2014年。日記やら年末年始で個人を振り返ることはあるけれど、結婚を振り返ることは中々ない。お別れや病気などのマイナスことがないとしないよね。岡村ちゃんの「結婚への道」を読んでからというもの「結婚」って何なんだろうと考えてみたくなった。左記の本では、結婚派と事実婚派、興味がない人、何度も結婚をしている人が登場してくる。もし人生やり直すことがあったとしてもわたしは結婚すると思う。経験から少数精鋭の家族やバンドが好きだ。その単位が落ち着く。生まれてくる時も死ぬ時もひとりで、ひとりの集合体が家族やバンドなんだけど、その枠組みにホッとしている。甘ったれている。甘ったれていいと思っている。甘ったれた人の人生は小さなことしか起きないだろうが、その小ささに居心地を感じるならば、それが習慣、想い、宿めならば。

育った環境の原風景は大きな影響があるとよく言われるが、その通りだと思う。カウンターとして抵抗もするが、やはりそこに帰属している。

母親は人とつるむのが嫌いだった。親戚付き合いも。みんないい人たちなのに。最低限でいいと思っていたようで、自分の母親が亡くなってもその様子がありありと出ていた。母親の妹は、私宛の手紙で、母(おばあちゃん)は、ずっと待っていたと。もっと母(わたしの)に会えることや電話で話せることを。でも母親はこれでいいんだと思う節があった。かなりの推測だが、子どもの頃がトラウマで、そこから離れたかったのかもしれない。それを貫き通している。なので「最低限」の付き合いが私の家族のベースとなった。大きくなったわたしは、自分の生活の所謂テリトリーに他人が入ってくることに慣れていない。最低限の気に許せる人以外に。一方父親は、真逆であるが徐々にというか母親に占有されたその空気に馴染み、家の中はそれでいいとなりカスタマイズされた。家の外ではそういうわけにはいかず社交性を存分に出している。母親は特定の人への愛情の注ぎ方が深い。父親はもっと開けたいんだけど、特定の人への愛情の注ぎ方が不器用で手法は少ない。その二人に育った自分の家族像はそこから抜け出したいと思っていたし、行動にも移している。その過程ではあるが、その習慣性は自分に宿っていると気づいている。

でも親子はコピーロボットではなく、徐々に薄まるものだと思う。なぜなら先天性ではなく、あとからやってきたものだからだ。

そういう中で結婚を捉えたときに思うことは、沢山ある。

気が合えば、気を合わせれる素敵な人に出会えたなら、幸せな豊かさは数知れず生活に降り注ぐ。

ご飯のとき、「美味しい」と頷きあうし、声に出して食卓に花が咲く。

寝るとき、一緒に布団に向かい、天井を見ながらくだらない話をして、いつの間にか寝ている。

テレビをみながら、文句を言ったり、一緒に笑ったり考えたりする。

仕事へ行くとき、帰ってくるとき、「いってらっしゃい」「ただいま」がこだまする。

病気のとき、支えあう。とても暖かい気持ちになる。

家という生活の舞台を一緒に作っている。家具を買い、便利なものや素敵な装飾を分かち合う。

未来を考えるとき、子どものことや自分たちのことを二つがひとつになる。

悲しい時やつらい時は、いつものそばにいて心配しあう。温もりを分かち合う。

楽しい時は笑顔で時間があっという間に過ぎる。

結婚でなくても、事実婚でも同棲でもできることばかりだ。

永遠の約束なんてないけれど、永遠の約束のようなものをしたとして、それが終わりを告げるときの気持ちが違う気がしている。

なので結婚は簡単にできるけれど、結婚するということでかけがえのない人との約束をしようという一途な気持ちの宣言だ。

そういう一途さをひとつは持って生きていたいと、書いていて思ったのである。

 

天幕

2018年の年末年始のブログを読み返してから、このブログを書く。いつものように、たいしたことは書いていないけど、明るく少し嬉しそうなブログだった。今年は、厄年だと知った秋に骨折し、初夏に転職し、春に退職したりと天幕があがったり下がったりの一年だった。新天地に行き、自分の裸さが出ると、自分の能力もくっきりする。これまでの積み重ねでここまで来たとはあまり思えず、がっかりと不安も募る12月だった。

2019年は、まずは幸せだと心で思うことからやりたい。そう言っていいはずだと思っている。でも、これまでのツケはちゃんと回ってくるもんで、40歳もすぎて、まだ一途に出来ていないこの焦燥感たるや。。「職業人間」という言葉で逃げてきていると思っているし、気休めに使っているとも思うし、世の中から徐々に相手にされていかない手ごたえがある。

一方で、家族やお友だちや暮らしぶりには、幸運も沢山感じられている。全部を頂く欲望深き、業の男の戯言かもしれないけれど、高望みをすべてに持つことは必要ないけれど、責任や可能性や願望は捨ててはいけない。

今のような一喜一憂するのではなく、少し先の自分を描いてみよう。ガツガツしなくなる最後のロングシーズンということで、引き算をたっぷりして、限られた時間、いや沢山ある時間で、自分をもっと「幸せです」と自慢ではなく、身の丈を足元を過去や未来を見たときに適正な幸せを、胸に。

・音楽が好きだから、それだけはずっと感じれていることで、音楽活動で知り合えた人のおかげで、セカイはとても広がった。そして自分を好きになれた。

 でも、その活動が今の自分の足を引っ張っていることがよくわかっている。音楽活動を地道に、活動的にやっていこう。

・大切な家族との時間を大事にしよう。これに尽きる。

・「矢野百貨店」をつくる。WEBサイトは2019年中に、それ以降に実店舗や派生した活動を広げる。完成をしっかりと定めずに長く、やり続ける。これがゴール。

・仕事は、これまでの職歴をつなげることで、よりプラスになりそうな仕事として、大きな意味で「教育」に近い仕事を生業にしよう。目の前の仕事で結果を出すことを積み重ねて、自分の力や成長につなげる。身に着けたいスキルや分野を明確にして、仕事の中で消化することを一年ごとに「決めて」いく。

2019年の年度末にどうなっているか読もう。そもそも健康で無事に過ごさねば。

 

変わったこと

今年も終わろうとしている、気持ちは山あり谷あり。悩むことといったら仕事のことばかり。仕事に悩んでいるのではなく、この世で私目は何をして生きて死んでいくものなかの答えがでないまま、前に進んでいるとはいえず繰り返し生きている。子どもが二人もいるのにそんなことで悩んでていいのかと言われたらその通り!なのですが、赤裸々に生きていちゃだめですか。「日本の2割は賛成している」という坂本慎太郎の歌詞を昨日知り、この場面でそう思う。どうですか。こうじゃなきゃいけない、こうだったらいいとか色々あるし、だいたいわかっているけれど、そんな空気感染で悩みの強迫観念が深まるばかり。悪いのは自分です。自分でごまかせないこれまでの努力、意識不足が露呈しているだけなので、もう同調同圧の吹き曝しの風はもういらないYO。

今年、転職して変わったことは、初対面の人と話せるパワーがついたこと。でもきっとそれは元々あった能力だろうし、安泰の中での生き様が続いたからだろうし、不必要な線引きやプライドが邪魔することが減ったからだと思う。人と会うことに億劫になっていたことからリハビリ中の、住所有定有職41歳の2018年初冬のブログでした。

変化変節変更

「変化」といえば、体系が著しくふっくらとしていきた。ガリガリ君だった20代の自分が見たら、嬉しくも悲しくもあるだろう。ピクシーズのボーカルとか年取ったら超えているなんて、なって情けないんだと思ったもんだ。カートコバーンもジミヘンもミックジャガーも太ったら嫌だもんな。ジェームスブラウンもキースムーンも太ったらチャーミングさは出てきたが、体が悲鳴をあげている感じだった。自分の体に適した身体を維持することは、自分の道を歩くという意味で大事なきがしてきていて、ジム通いなるものも真剣に考えだしている。「変節」の季節は毎度ある。18歳も23歳も27歳も30歳も35歳も38歳も40歳も、色々な節目が背中を押す、胸を締め付ける、焦燥感が心を葛藤させる。友だちの変節は一番の影響、刺激になる。そんな大切な人の選択の変節が、自分にかえってくる。寂しさや不安や時間の経過を感じたり、やる気になったり。応援っていう形態が好きだ。音楽やスポーツのファンであることが好きだ。子を思う親の心も、友や仲間への言葉や少しの活力になるための様々な行為も好きだ。応援できる人でありたい。徐々に自分が主役である無自覚な感覚から、徐々に応援心が募る大人の階段登り中。変化と変節が色々とやってきて、見えない役場に、自分の変更届を少しずつ出している感覚だ。たどった道が人生なのだから、これからたどる道はもっとシビアになるだろう。沢山の思い出という切なさを抱えながら。

家族写真を撮った日

初めての撮影は、大阪で家人と二人だった。1時間ほど話をしながら、カメラマン伊東さんとゆっくりした時間をすごしながらだった。カメラに映るのが苦手で恥ずかしがり屋さんの家人は中々、自然な表情を出せず少し苦戦していた。そんなことから始まった家族写真。それは5年前だった。お腹には長女が芽吹いたところぐらいだったので、2人ではない気もするが最後の2人写真だ。そこから転勤があり、年一度(今は複数回かもしれない)、伊東さんが東京で撮影会をするタイミングにあわせて、撮影をしてきた。学芸大学駅前のmonogramでの撮影は、人気があって所要時間も短い。今回は伊東さんがせわしくないように、少し予約をセーブしたと言っていた。なので「家族写真」について会話ができた。伊東さんは、すべてのカメラマンは、一部を家族写真撮影に投ずるべきだと優しく言っていた。ぬくもりやつながりが捕えきれなく感じられる昨今なので、写真を撮るという活動によって立ち止まり、何かを思い直し、未来と過去を結ぶといった意味ではと思った。かくゆう私たちも、家族写真撮影は大事な年間行事だ。休みの調整、床屋にゆく、洋服を買い鏡の前で衣装合わせする、そして楽しみにしている。長女も少し意味がわかってきていて、3人で撮影場を目指し、国道をゆく。長男はみんなとお出かけでうれしいのと、眠いやお腹すいたと闘っている。今回のコースはてんこ盛り。学芸大学駅行ったならばと、マッターホーンの季節限定のモカソフトを家人念願で食らう。商店街そばの店を散策し、スカーフも買っていた。代官山蔦屋や代官山を散策し、バックや靴を買った。桜新町駅に近くの蕎麦屋「ますだ」で美味しいお蕎麦を頂く。同駅にある長谷川町子記念館まで行き、グラスを買う。最後は川崎市民ミュージアムで「かこさとしのひみつ展」へ行き、国道を通って家に帰った。こんなデリシャスな一日を過ごそうという意気込みも家族写真撮影のおかげである。思い出を沢山もって、天国のドアをたたこう。

お盆が良く思えたとです

今年は小売業を卒業した年でもあった。そうすると、所謂、繁忙期の見えない責任っていうやつを回避できるんだとお盆が終わって気付いた。大した話じゃないのだけど、お盆の存在感に触れたなと思った。働く世界ではお盆はお休みモードで、緊張感の糸がほどかれている。電車も街も静かだ。気持ちが落ち着いたお盆に、仕事も緩やかに勤務しながら、実家に帰った。実家のある浦安市もお盆に帰ったことはほとんどないので、その静かな街の雰囲気に触れたのも久々で、地元のイメージがよく見えた。静かな街では、人が少なく、車も途切れ途切れで、お店はしまっている。その空気は、落ち着くと同時に少し寂しい。寂しさのサービスエリアから切なさが発進される。友情や恋心、その時々しか味わえない、手に触れられない想いを思い出す。もう触れれないと思うと愛おしくなる。その切なさが静かな電車や、親の自転車を借りて疾走する夜の街で、一人息を吐く。若さを欲しているわけではなく、その手の届かない「あの想い」を欲する。すべてを塗り替える、新しい友達がほしい。ずっと馴染みの友達ともっとゆっくり話したい。急ぐと見えないものが見えてくるゆっくり。自分がどこからどこに行こうとしているかなんてわからない。過去も大事にしていきたい衝動を、センチメンタルな夜道の街灯と風が掘り起こす。もっと切なく生きていきたい。

ザ ファブルを読んでいる最中お見舞い申し上げます。

昨日まで9巻読んで、今日これから14巻までよめる、うれしい今日の未来。ファブルは、殺し屋が1年間休業するという話。殺し屋であることよりも、1年間休業するという設定がユニークさを導く。その制限性が、なぜ休業する必要があるのか、休業ずるまではどんな感じだったのか、休業した後はどういうことが待っているのか、休業できるのかなど休業することでうまれる疑念や関心、憶測ができる。そういう着眼点でラブズッキュンだ。そもそもどんな漫画にも同じく初期設定やキャラ設定があるので、特別ではないのはわかっているが、この漫画においてはこの休業は大きすぎるファクターで、その塩梅がやはりいい。ヤクザやマフィアのような闇社会や病んだ人間に関心がある。そういった世界を知らないふり、見ないふりしていること自体がおかしいぞと思っている。火の粉はいつかかるかわからないし、自分たちの何%かは闇をもっているはずだ。かれらの犯す犯罪はそのブレーキになっているかもしれないし、学ぶことが沢山あると思っている。ハッピーな結果から学ぶことはない。それまでの軋轢や失敗や不条理からの生還がハッピーというならその経過が知りたい。ファブルは、ここまでで71人殺しているのだが、殺される側の表情がまさかといった様子であると言っていた。依頼されるぐらいの悪党たちであるのに。災害も同じだがまさか自分や自分の愛する家族に・・なんて思っていたコメントをしばしば聞く。そうなっていない自分も実際は同じかもしれない。でも備えたい。自分がその時壊れすぎるのは怖い。そういう観点が一致し、緊張と緩和があって笑えるし、ストーリーがとにかく面白い。今日のこれからが楽しみだ。ドキドキわくわく。

ザ ファブルを大変気にいっております。

このタイトルでピキンとくる人と、今すぐ話がしたい2018年のサマー。インスタグラムでポストしている人の感性がいいので、気になっていて出会えた。久々に読んだことのない漫画でも読みたいなと思い、思いついたサマータイムのとある日、地元の本屋へ3軒行くがどこも売っていなかった。人気があるのか、人気がないのかわからかった。でも、次の日、東京駅の大きな本屋でも売ってなかったので、もう見たくてしょうがなくなっていた。アマゾンで買わないの?と思う人もいると思うのですが、アマゾンでは本当にほしいものは買わないのです、私。買うまでも「買う」なので、ちゃんと買いたい、昔型のローテクバイヤーなので。その必要がない消耗品や思入れが大してないものは買います、家人に頼んで。

漫画の情報ってどう手に入れるのがいい筋なんだろうか。生活圏内では、音楽や映画だと新情報は入手しやすい。噂というかそういう世間話も人としやすいし、街やテレビやお店で聞こえてくるし、宣伝にも出会う。フェスのラインナップで勢いも伝わるし、お気に入りの人がおススメをよくしているように思う。そもそもこのアーティストや監督ならというのも多いけど。漫画もそんなに知らないわけではないけれど、今まで読んだことのない作家の、「今」の作品を知るすべがナチュラルにない。そういうサイトへ行く気がしない。溢れた情報に埋もれるのが何より危険だ。この程度の距離で手には入る最高なものを、釣りあげたい。釣れた時の喜びはかなり大きい。大きな財宝を発見した海賊のような気分。発見した時の喜びが最上級。今回は、これは財宝かもなと予感した本屋さん巡りで、海賊船は軽快だ。品川の本屋で見つけたときは静かに興奮していた。そして、買った三巻を帰りの東海道線でむさぼるように読んだ。最寄り駅に降りる直前で読み切れた。電車のドアがあいて、外に出ていた時、いい漫画だーと一言言ったような言わないような、そんな感じ。そして、急いで帰って、家人に伝えなきゃと家路をまっしぐら。品川駅から家までの70分、興奮している。最高のものを見つけ、手にした時の私の物語です。

シゴトは百貨だねぇ

過去の職場の人たちと会う。若干、時の古さを感じてしまう。もっと時間がたつときっと恋しくもなる気がする。そして今、いろんな仕事に従事している新鮮な人々に会うと、自分の心に、頭に、様の違う風が数多く吹く。羨ましかったり、自分との距離感を感じたり、不思議に思えたり。風が吹いている。絵を描く人、書を書く人、音楽を作る人たちは、唯々羨ましく、応援心も咲いている。問題は私を含めたサラリーマンだ。これまでサラリーマンとして働いた仕事は主に3つだ。世間的には多いみたいだ。携わった仕事内容には規則性がある。それは自分が少しでも面白そうかと思えるかどうかだった。そしてそしてこれから。もうサラリーマンは卒業することにしている。その決定だけで少し気持ちが和らぎ、少し不安にもなる。どんな仕事でも誰かが対価を支払ってもらえる価値があれば、仕事として成立する。それを多くの人数で作るのが会社だとすると、アーティストや独立する人はやはり逞しい。お金を稼ぐためではなく、お金を頂けるための「素敵なモノや͡コト」を自分で作り出せるのだろうか。そこはきっと自分への信心とマーケティングと縁なのかなと思う。もう一度バンドをやるような気持ちだ。あの頃は存在証明。これからは存在生存。共感も個性も出会いも興奮も努力も客観性などのその他はほとんど変わらない。存在を生存させていくための活動である。ちょっとだけまだ欲張りな。

生活の手帳②

「仕事」はしているが「生業」を見つけられず、もうすぐ41歳になる書生。「生業」を見つけている友だちの幸せとそれが故の苦労も何となくわかっている。同じく、「仕事」を見つけて幸せそうな友だちもいるし、働く内容の妥協とそれによる余力で趣味や家族、刺激的な休暇の過ごし方を獲得している。どちらでもいいじゃないかと書いていて思うのだが、承認欲求の高さと無意味な闘争、自分への期待がある書生。頑張った分だけ己を認められたい欲求はいつの時代も高い。結局は才能やセンスもあるんだが、「頑張った分」というのが全てで、それが大変なんだと思う。今の仕事はこれまで以上に野原感があり、大変だ。だいたいをやらなきゃいけない感じなので、表現力や解決能力を求められる。コミュニケーション能力も。所謂企業にいると、そういう力はどんどん衰えていく。というか必要さが見えにくくなる。なので、その会社では力があっても、その組織のスキームをこなすだけで評価基準となる。企業が離職率だけを下げたいのであれば、その会社の仕事しかできない人を沢山作ることだ。でもそれは、その会社の力の低下を意味する。目的も目標が狭義となり、時代の変化に追いつかない組織人の集団を作るからだ。俺は今、時代の変化に何週遅れであることに気付き、ちょっぴり「生業」に近い「仕事」をできるようにを目指している。

生活の手帳①

あっという間のため、1ヶ月ぐらいこのブログもあいてしまった。これまではあっという間でなかったのです。とも言える。変化にくらいついて、時をかけるおっさん。家のメンバーも、それぞれの新しいステージに戸惑い、一家総出で体調不良だった6月。改めて、、体も心も繊細なもので、克服することもできると思った。最中は大変だったなとも思うけれど、COCCOの歌じゃないけれど、人は弱いものよ、そして強いものよ、だ。ひかりは、保育園とバレェを楽しんでいるようだ。この二つも狙いすまして、獲得したステージではない。偶然と必然が織り混ざっての選択。親の二人は、保育園とバレェの先生たちとやり方と雰囲気をとても気に入っている。当のひかりが楽しいと言っているので、それが何より。思うに、嫌なことをすることの大切さもあるが、それは忍耐強さと関連付けられるので、頭を過ぎるのだが、小さき時は、より世界を好きになってほしいと思うのだ。ワガママにという意味ではなく。世界を好きになれるかなれないかで、その後の忍耐の連続との向かい合い方も違うと思う。しかしながら家人は、よく呟く。小さい時に好きなことをあまりさせてもらえなかったと。だから好きなことをさせてあげたいと。でも家人は俺から見ると多才で忍耐強い。反対に俺は多分大凡好きなことを好きなことをやらせてもらっていた幼少期だった記憶。水泳教室以外は。そんな嫌いだった水泳教室は行っといてよかったと今思う。海やプールが大好きで泳げるから。人生に正解はないね。

自己愛強めにつき

転職して早三週間程度がすぎた。起伏ロードであることは確かで、サンダーロードまではいってないと思う。面食らうことも多々あり、大阪の新世界に住むくらいの、新世界感が確かにあった日々だった。ブログなんて書いている暇なし。今書いているということは一山ぐらいは超えたのか。3日3週間3ヶ月というからその間隔でステレオタイプに進行しているといえる。前職の上司が血液型大好きで、AB型は新しい世界に飛び込むのが苦手?というようなことを言っていて、その通りだと思ったりもしたが、よくよく考えれば、生きていたら、家から出たら、新しいことは多い。ただ向き合うのが嫌なだけだと思った。それよりも厄介ないのは自分が相当な自己愛強めだということだ。それが色々と大きな邪魔をする。自己愛がAB型に強めな傾向があるなら、自分が知られていない世界に身を投じるのはちと荷が重い。自己愛とはなんだ。自己愛という言葉は、是枝監督のインタビューで舞い降りた。是枝組は女性のほうが多いらしい。なぜなら男性は自己愛が女性より強いので、変化や受け入れるのが社会に出ると時間がかかるから、気づいたら女性が多くなっていたと言ったようなコメントだった。男子の映画好きのプライドは結果自己愛と繋がり、めんどくささを醸し出し、社会や周りにとって邪魔くささを生んでいるということかと思った。そしてそれは俺じゃないかと。自分がどういうポジションに扱われるか、自分の尊厳を守って頂けるか、要するに傷つきたくないのだ。糸井重里は仕事の世界において少年性は言い訳、悪のようなことを言っていたな。「センチメンタルカンガルー」という渡辺美里の曲があるのだが、今それを思い出して書いている。よくもこんな感覚で41歳まで生きて来れたもんだ。大したやつじゃないか、俺。ということで少しノイローゼになりながらも、少しワクワクして暮らしています。

本腰

長いフリータイムの終了ホイッスルが今日でなる。長い2018年前半戦だった。2017年の12月には、大凡今後の進路が決まっていた。年をあけ、「新しい時代の、夜明けぜよ」とイキ高々に号砲をあげたのだが、5ヶ月間は中々の長さだったと思う。振り返れば、いつかあの時のFT(フリータイムをそう呼んでみる)は貴重すぎたというかもしれない程の長さ、厚さだった。FT前後で自分自身と家族の感覚にはちょっとした枝分けれ的な道の違いが生まれそうだ。会社を辞めるためのプロセスも長くあった。仕事といえちょっとした別れの応酬でもあった。お金を稼ぐための手段もそれなりに健闘し、成果を得たと感じた。学校にも二つ通った。かなり偏った学び舎、絵画と統計学。家族と一緒に過ごした時間もかけがえのない血と肉となった。信頼関係も深まったような気がする。久々に実家にも帰ったし、スチャダラパーにも家族で会えたし、映画もたくさん見れたし、マッタンホーンもフレシノも福生もつばめグリルも吉鳥でのハッピーアワー飲みも好きになった。何より四国への長旅を実行できた。FTを超えて今、メガネをかけ始めている。身だしなみのものをいくつか捨て、新たなものを沢山購入した。やり残したことはほとんどないと思う。次に向けてしか、もうない感じまできた5ヶ月間だった。

そんな中、我が家は四国で偶然通りがかった高校の標語に気を留めた。「本腰」をいれるというコトバだった。我が家はこれまで以上に「本腰」入れて、これからへ向けてこぎ出す。そういうメモ的なブログの回である。ひかりは行きたかった保育園へ急遽合格になり、家族を飛び出し、社会と向き合い、成長がまた進むだろう。新たな喜びを沢山知るだろうし、悩ましいこともあるだろう。歩はこの世に慣れてきたと思うので、これからも伸びやかに陽を浴びて、風をうけて過ごしてほしい。家人は新たな生活リズムと闘う日々、自己表現の一歩一歩の拡大を彼女なり耕し進むに違いない。俺も変われないところは沢山あるとて、新たな場所と出会いで、自分の表現の仕方をまたギアを変えて、あげてトライすることを誓う。今頑張らないと次には進めない。そう思ってやるっきゃない。やればできるとまずは一夏を超えたい。大きな事故や病気などが降り注がないことを祈りつつ。

四国 後編

徳島の続きをちょっと。渦潮も阿波踊り会館も行ったが、さしたインパクトはなく、徳島ラーメンに負けていた。もっというと叔父さん家のお庭のミニゴルフ場とお手製焼肉の方が感動量で完勝だった。ネギ畑など多種な農作を行なっている田舎道の散歩も良かったな。次に高知県。やなせたかし記念館もハイライトの一つ。アンパンマンをとおった記憶がなく、大人になってからも嫌いなカルチャーの一つだったが、変わってしまいました。やなせさんのソウルはすごいし、風とおる香美市の記念館は子どものためにちゃんと作られた美しい場所でした。外も中も優しく、美しく、包容力が隅々まで行き届いた、ウィットに富んだ場所で、居心地が大人でも最高に良かった。なので各所にあるアンパンミュージアムはどんな様相何だろうか気になった。親友卓也に墓参りにも行けた。26歳で亡くなった卓也は久保家の墓で先祖と一緒に眠っている。案内してくれたこれまた親友のけんじと夜、高知市内で飲んだ。けんじとの別れ際、何だかもうあまり会えないと思えて、見送ったけんじの背中を見て、涙が少し滲んだ。たった1日だけで親友たちを思い、語るのは難しい。あの頃はあんなに一緒にいたのに、今は1日も及ばない半日ほど。そんなに何が忙しいのか。きっと今までのこともこれからのことも同じような感覚が続いて行くのだろう。今を大事にの連続しかない。そして四万十川遊びを経て、高知で泊まった梼原町の雲の上ホテルは自分達にあっていてベストマッチだった。サイズやテイストは合う合わないがちゃんとあるもんで、豪勢さやスケール大きさがイコールでいい!とはならないものだ。ここまででほとんど旅の目的は終わっていた。そのあと、メインの余談旅の愛媛は、内子町、今治市、道後温泉、砥部動物園、素敵なホテル、美味しい食事場、しまなみ街道といくつも堪能したが、おまけみたいなものだった。日常の外に出て、思ったことや感覚を次の道で、本腰入れて取り入れていきたい。旅の終わりは次の旅の始まりと思わざる得ない。そんな気持ちでいます。

四国 中編

高松空港に到着した。成田空港からの出発だった。成田空港は不便できっと場所が失敗だったと思う。場所って大事だなと思う。仕方なしに行く人は多いと思うが交通機関としての魅力が全くない。文化もないし不便な場所で、闘争があった上で獲得した場所にも関わらず、諸条件で収まっただけの立地。事実誤認なのかもしれないけれど、そういうことしか現状情報からは伝わらない。高松空港を出て、レンタカーで高松市に。幼き頃に通過もしくは行ったことがあったのかもしれないが、記憶なし。記憶も予見もしていなかったので、予想以上の繁栄と、景観の良さに県庁所在地ランキングをもし意識していたとしていたら一気に20位くらい上がった気がする。建物の古さと美観の保ちかた、道の作り方、人の行き来の様子などがバランスよく、四国の玄関口さすがと思えた。2県目の徳島では叔父さんの家に泊まった。91歳のお祖父さんと88歳くらいのお婆さんも元気に暮らしていた。30年前に建てられていたにも関わらず、モダンで大きくて豊かな家だった。家の中は合理的な状況状態が全てといっていいほど表現されていて、隙のない安心さが、まさに「家」だった。叔母さんも含めた住人たちの意識、考えが家になっていると思った。旅の一つの目的は、叔父さんの家に泊まることと、父親の父親の喜八郎じいちゃんの墓参りと家を見に行くことだった。喜八郎じいちゃんはお婿だったこともこの旅で知ったし、自分の家のルーツに広がりも初めて感じられた。都会に住んでしまうと失われる血筋、ルーツについて。己よりもっと大きな存在、脈、器があって自分も至っているという感覚が少し理解できた。これまで知り得なかったことを入手して。喜八郎じいちゃんの家には、幼少期に年数回は千葉より帰省し、滞在した。長男家から生まれた長男だったからか可愛がられた記憶がある。将棋を教えてもらい上等な将棋セットをもらった。何回もさした記憶がある。挟み将棋などもその時に教えてもらった。パイプをくわえたおじちゃんは、酒や博打も好きそうでチョイ悪な匂いがあったと思う。今回聞いた話では、10人兄弟で唯一大学に行かせてもらったと。色んなインテリジェンスが注入されていたんだと思う。でも婿に入った。その理由は大したことないのかどうなのかもわからないが、なにがしかの判断があったと思える。喜八郎おじいちゃんが最後の入院で、幼き小学生の俺に、将棋で初めて負けた。初勝利の嬉しさよりも寂しさがあったことを今でもよく覚えている。

四国 前編

実家を合わせると、9泊10日という20代以来の久々ロング宿泊旅を実行することができた。日常の時空を超えた感がする非日常の「旅」を特別な存在として、存在する現代の中の俺。仕事を辞めるからできたタイム空間を泳ぐことができた。旅する人、挑戦する人、とにかく自分の外に出てインプットする人がいていつもいつも羨ましく思う。また自分のするべき生業をちゃんと持ち、そのことを徹底的に行なっている人も何より羨ましい。その両者ではない自分は、世の中のその他大勢と同じく、自分の範囲の中でもがき、座標軸を時に忘れ、ポジショニングを見失わないように日々の中で対峙し、その敵と対峙する。転職するにあたり、そういったところに目を向けてみて、突き進んで見たいとリールを我が川に投げて見た。その活動のクライマックスがこの旅だった。旅行ではなく旅と言いたい部分が心にあった。内容はともかく、心持ちとしてのネーミング。このタイミングでの四国行きにはいくつかのタイミングがあった。保育園には行けていない娘は、3歳8カ月。もう色々とできるし、話せるし、伸びやかな時期でいろんなところでの体験は、全てが肥やしになっていると見ていると心から思うので、そういう機会になってほしいなと思っていた。長男は1歳2ヶ月。我が家の新たな仲間として、多くの時間を生活以外で一緒に過ごす初めての機会。きっと何も覚えていないと思うけれど、旅前と旅後では長男以外の3人の気持ちも変化している。客観的にも彼との生活を見ることができるし、彼も何かの変化の入り口の一つになるだろう。そして家人。ずっと側で一緒に生きる彼女へ、もっと色んなことを体験させてあげたいと心から思っている。子育てては本当に大変だ。大変以上に我が家の子育ては幸せだ。でも不自由がある。その不自由に滅入る時はみんなにあるだろうし、彼女にもある。そんな彼女の窓を少し開けてあげたいと思っていた意味もある。最後に私。転職によるリズムの変化、今後への新たな「本腰」への栄養、生前よく行ったおじいちゃんの家へ行きたかった、そして墓参りに行きたかった、親友卓也の墓参りにもまた時間があいてしまったので行きたかった、よくしてくれているおじさんに会いに行きたかった、親友けんじに会いたかった。家族四人で過ごせる時間は思ったよりもきっと少ない。そんな家族の一つの思い出に、旅を選んだ。自分たちで選んだ旅は、家族の結びつきも強まり、これからも頑張ろうと思えるものだったと後に思うに違いない。間違いない。

以前と違って見えたモノ

最近、洋服を捨てている。洋服はやや乱暴に買ってしまう傾向があるのだが、一方で気に入ったモノは長く愛用したり、一つでもいい特徴があるものは、1度も着用しないシーズンが何度も続いても期待を込めてずっと保有している展開が多い。そんな洋服を捨てる時は、その洋服にキスをして「ありがとう」と呟きながらゴミ箱に捨てる、気持ち悪い風習が自分にはある。そんな洋服たちのお別れが今年は多い。そういう脱皮な気分であることが最も大きな理由だが、家人の助言と自分の中での変化もウェイトとしては大きいと思う。同じものであっても時間の経過の中で、印象が変わってしまうものの一番寂しいものはヒトかもしれない。プラスに転じたヒトたちも最近いる。それはBOOWY。YouTubeで昔の映像を見ると、めちゃくちゃカッコいい。氷室京介がめちゃくちゃキレててカッコいい。曲は好きで口遊んでいたが、曲は単純コードでヒトにカッコいいとは言いづらかったが、彼らはパンクなんだとわかると気持ちも変わる。コードはシンプル、でも突発的な発想の曲、メロディはPOP、佇まいはパンクといった構成で、最初はやたらとコードがシンプルでちょっと恥ずかしく思っていた(ニルヴァーナやピストルズ、ブルーハーツとは違い)。例えば「image down」という曲などヘンテコな曲が多くて、高校生ながらになんか変わっているなと仲間と話していた。さっきも書いたがメロディはとても好きだった。佇まいはパンクではなく、田舎のヤンキー、ヴィジュアルバンド的なイメージだったが(そういう雰囲気もあるが)、世間に向かって立ち向かう王道パンクな出で立ちにちゃんと見えた。ピントがあったというべきか、今更、BOOWYの見方が変わるとは・・・

イントロは短いし、いきなりAメロから極上な感じだし、ギターはキラキラしてるし、ボーカルは気合いが凄まじい。好きだぜBOOWY!

そして今一番変化とともに感銘を受けているのは、HIPHOP。年々興味関心が高まっている。遅いよな。。もうすぐ41歳だもの。

顔をかけるようになった

友達のアーティストの絵画教室へ先月より行きはじめた。デッサンを教えてもらっている。自分の画力を信じたことは一度もないが、左利きを右利きに矯正した幼き頃の親の判断は、いいと思っていない。不器用の温床になったのではないかとほんのちょびっと思った日もあった。父母で何がよくて右利きなのかも議論されてた記憶も少し残っている。野球は内野手のほとんどが右利きじゃないと逆手になってしまうため、効率上、左投げはピッチャーとファーストしか内野手にはいないが、親の論理は、そういった左利きのデメリットはあるが右利きにはそういうものが一切ない、もあったような。なるべく「ノーマル」に育てたいという特に母親の考えが出た処置だったと思える。道具もほとんど右用にできていることも今まで以上に多かったと思うので、そういう煩わしさも親の心理としてはあったと思う。俺はお箸やラケット類の道具は左で、鉛筆や文房具系は右で、足は6対4で右の比率が高い。そして、絵はずっとふざけて左で描いている状態だった。今回、左利きの力を引き出し、左利きに戻って行くために遅ればせながら左でチャレンジしている。今の所、描きたいものが自分なりに描けているし、何より集中力が増すような気がしている。

そしてヒト変わって、娘。娘の絵といえば独創的なぐちゃぐちゃな絵だったが、急に3歳七ヶ月の目のある日、顔を描けるようになった。家人と驚き、その急な成長に喜んだ。それぞれの絵の成長記録を人は覚えておらず、いつの間にか大人になって絵を描くのをやめ、また絵を描くことを始める大人もいる。絵を描くことを続けていけそうな先生に会えた気がしています。

これからひと月

いく日かの挨拶訪問を残し、前職の活動を終える。縁あってやらせて頂いているアルバイトもあと数日間で終える(このアルバイトほんとやってよかった!)。丸々1ヶ月間弱、この時でしか過ごせない日々を過ごす所存でいる四月終わり。五月は、大人の珍しい季節はずれの夏休み的になる予定。大人になると忙しくなる。本当は忙しくないかもしれないのに、忙しいふりもしているし、明日を憂、帰りを急いだりする。体力気力も落ち込めば本を読む気にもなれないし、音楽は心に届かない。映画館に行く気力もわかなければ、美術館のことは忘れる。友達に会いに行くこともあるが、消極的なスケジュール構成にもしがちで、家族がいれば家族との時間も優先するし、生活の為のしなければならない活動も追随してくる。余裕やあそびがなければ心は少しずつ荒む。抗うこともできるし、抗い続けて行くのだが、そんなサラリーマン、いや労働者、いや大人の状況がある側面は否定できない。それも宿命、時の流れと位置付けても、一度しかない人生をもっともっと励んでいきたい自分の根底感は、その逆を目指しつつ、現実は手が届かない。そういう自分のライフステージの中の五月。愛してやまないお子たちと、たっぷりすごす。暮らす。お子は小さいので、今しかない。今しかない時を大事にできるシチュエーションに恵まれた。大袈裟なことはない。一緒に過ごせばいいのだ。歌を歌い、絵を描き、踊り、食べ、笑い、会話をする。眠り、起き、洗濯をし、掃除をし、お出かけをする。海を見に行く、色々な場所を歩く、赴く。彼や彼女は全てが新鮮でご機嫌だ。なんでも楽しそうで、いつも笑っている。たまに泣いている。でもご機嫌はいつもかなりいい。そんなお子や家人との時代をいつか振り返れば、その素晴らしさに溜息も盛れるはず。そんな五月。とても楽しみで武者震いはせずに、静かな闘志で見据えている。

仕事を終えて。

10年ほど働いた、職場を離れる日がきた。最後という事で、誰であっても最後というテーマで話すことが繰り返され、何かを懸命に掘り起こして会話をした。しかしながら記憶というのはよくわからない領域で、自分のコントロールが利かない。強烈に残る記憶だけが残っている訳ではなくて、大したことない事でも克明に残る記憶もある。掘り越さないと出てこない記憶が大したことがない訳ではない。その人への愛情が記憶量とリンクしている訳でもない。長い前置きはいいとして、仕事といえど、出会い。さようならは何事でも同じと考えると寂しい。いつも最後の気持ちで生きていたら、もっと全力で出来ることもあるだろうけど、切なすぎる。明日が約束されていると思い込む事でどれだけ助けられているのかと思う。死ぬまで会わない人と銘打てば、もう葬式気分というところまで妄想する夜もあった。自分の判断が何に委ねられ、自分が航路を推し進めているのかもわからない。記憶もわからない。意志もわからない。何もわからないのかしれない。ちょっとした選択の数々で、今ここで暮らしている。そういう意味で生きるとは不思議だ。人々の職業選択の自由は、対価ややり甲斐や合理性で決めているんだろうし、自分もそうなんだが、始め方は何も疑問なしだが、終わり方に直面し、今まで感じたことがない感情に出会えている。始めることより終えることの方が断然難しい。仕事も男女関係も親子の縁もバンドも仲間もプロジェクトも。。始まりは希望がベース。終わりはベースは希望だけではない。希望に塗り替える為に戦う時間を過ごしている。そんな今です。有難し日々に尊さもちゃんと持てて、辞めれたことだけはよかったなと思う今日でした。

絵描き

新宿へ絵描きを教えてもらいにいった。ちなみに今週も来週も再来週も行く予定だ。先生は秋葉康平君。先生なのに君とは相変わらず姿勢が高めでゴワっす。というわけもなくはないが、友だちなので、そして幾許か年下のようなので、君。最近行っているバイトも、先日行った自由大学の講義も同じで、準備体操みたいなものはほとんどなく始まる。たまたまなのか、それが普通なのかはちょっとわからないが、自分が思っているよりは早いタイミングでスタートしていることは事実。しかしながら少しずつそういった展開にも慣れてきた。「先生(もしくは先輩)、もうちょっとアイスブレイクしてから始めましょうよ」とは心で思っても、声に出さないどころか、表情にも出ない。そういったことが常に表情にでるタイプなのだが、そういう経験が重なり、少しだけ気持ちをタフにさせ、免疫ができてきた。経験ってほんと大事だね。。 色々と思うことがあるのだが、まず友だちに習うということは、少しばかり変な感じだ。まず私語はタメ語で、活動は勿論敬語。他の生徒へのアドバイス姿や言動も勇ましくてカッコ良い。本域で自信を持っている分野なので、友だちの一番イケているところが出ている。そして絵を描くということを考えて描くのがかなり久しぶり。考えて描くのが嫌で、描くのを止めた気がする。模写するのが兎に角苦手で、小学校時代の授業で時間内に描き、うまくもかけないものをみんなの前で発表するというプロセスも嫌にさせた。今回、習ったデッサンの仕方は新鮮である一方、難しく感じながらの活動だったけど、時より先生に絵を修正してもらえるので、なんとなく描けている気がしてきたりもした。自由に描くことは元々何であれ、苦手はないのだが、基本があって描くことで表現力の違いを有するような気がして、こういうことなんだなと思って家路についた。二つの目標がある。左効きに戻すこと(元々絵は左、字は右、箸は左、ラケット類は左、足は右が強めなど)と、自分自身が想像しない、自分の絵の作品に出会ってみたい。しばらく続けていけそうな気がしています。

センパイ・タメ・コウハイ

自分のことを最も大事にするヒトは、一人で過ごすことが好きなのかもしれないと、ふと思った。一人で過ごすことが好きな人であっても、ずっと一人がいいヒトと、そういうわけでもないヒトに分かれる。また、誰かと過ごすのが好きだからといって、自分以外を大切にできるヒトではないかもしれない。などなどと傾向とは所詮そういう堂々巡りの部分もあると分かっていながらも、自分の傾向から自分自身を突き止めたい衝動も時より発生している。その傾向に合致しているかもと思うことの一つに、良きセンパイという存在が少ないということがある。それは、生い立ちも関係あるかもしれない。長男であることや体育会系での経験値が少ないこととか。体育会系ではなく文系のくせに、年齢の上下関係には少し厳しく見ている自分もいたりする。良き友人が一人いればいいと思うのと同時に、いいセンパイも一人いればいい。いやどちらも2人がいいなとすぐに思い直した。その辺はいいとして、そして良きセンパイの身近じゃないバーションを見つけた。というかかなり昔から知っている存在なので、見つけたのではなく、気づいた。それは・・・スチャダラパーです。え?と思う、数少ないこのブログを読んでいるヒトたちもいらっしゃるでしょうが、2018年4月に気づきました。

リアルでの良きセンパイのいでにぃさんから、色々とオススメを受けて、去年来スチャダラパーブームが我が家にやってきていた。ライブを見に行ったり、レコード聞いたり、YouTubeを見たり、彼らが発行しているZINEを読んだり、、と俺はもちろんだが、家人や長女も少しずつ身をスチャダラパーに寄せ出していた。そして、2018年の4月は日比谷の野音に長女がLIVE体験デビュー。弟も家人も一緒に入れなかったが外で口ずさんだり、踊るというのに近い反応をしたり。スチャダラパーの作る音楽や社会への眼差しは、とても俯瞰ベースであると思うし、真剣であり遊びが吻団にあり、優しいし毒がある。10コ上の彼らと彼らの周りにいらっしゃる方々と、私の連結感は知れば知るほど自分に十分あることがわかり、この兄貴たちを信じてついていきますという気持ちにさせられている。アラブの春改め、GOOD LOVEの春を迎えております。頼るものを増やしていきたい。もっと受け入れたいYO!の春です。

TRIO DE GO TOKYO DISNY LAND

娘の期待以上に、母親と父親の期待が高まってしまっていたディズニーランド。心臓の鼓動が4つ打ちビートとなり、歩く速度のそれぞれの4拍子、コトバと足がからみあうようにし、ディズニーランドの入り口に着いた。弟は実家に預け、長女を真ん中に3人でゲートをくぐった。ただただ楽しみというコトバがピッタリで、気心を知れた家人と長女とのトリオは、会話も明るいし、やる気元気も高いパーティクルーたちなので、もうDisneyを食うだけの心境。はてはて結果は。しかしながらこんなに希望に満ち溢れてお出掛けする事ってありますか。家人はディズニーランドは1度しか行った事がないようで、好きじゃない感じといった感じだった。俺は生まれも育ちも浦安市という事でいった回数も人並み以上にはあるのだが、そのせいもあって、珍しくない場所、人が多い場所、もし行けばまあ楽しい場所といった感じだった。行く一ヶ月前から、家人が何だか楽しみになってきたと会話するようになり、俺も二人と行けるディズニーランドがパラダイスのように思えていた。一方でディズニーランドは料金も高いし、中でもお金かかるんだろうなと現実的な計算も頭がよぎったりもしたし、最近の日々の変動が激しいので、その点で日々の消化能力が試されている気がするなと思え自問自答した日や、未来に対する不安が時たま襲ったりと変わらずの日常を過ごしてきた。そうして当日。前日入りしていた二人と駅で待ち合わせ。舞浜駅に着くまでの長い電車移動も大好きな冊子を読んで、あっという間に到着。ニコニコして嬉しそうな二人と合流。まだまだ肌寒さを感じながら、朝イチからの人混みに少し戸惑いながら、我がクルーはふわふわした気持ちでゲートを目指す。どんな一日になるのか、何が待っているのかにワクワクしながら。

そしてゲートが開く。

入り口にミッキーマウスとミニーマウスがおりました。ディズニーランドは、ちゃんとした夢の国でした。とっても楽しかったです。また行ってもいいと思っております。

色色衣

「色色衣」はスピッツのアルバムタイトル名です。B面的な曲のベストを集めたスペシャルアルバムで、本来の意は「ツギハギのみすぼらしい衣」という意味らしい。ここ数日、ツギハギの衣を着ている気分のオレは、心揺らしながら日々を歩行している。TV番組「めちゃイケ」の最終回を5時間見た。最後の1時間半、泣きっぱなしだった。こんなに長時間泣いたのは久々かと思う。友人が亡くなったことを聞かされたあの時以来な気がする。母親が自分の母親(おばあちゃん)が亡くなった時に泣いているのを見た時や、親友の葬式で他の友達たちが大声で泣いていた時とも近い感覚で、普段絶対見れない岡村や加藤などの本気泣きを見たとき、彼らや彼女たちの本当の気持ちやそこに隠された想いに触れた時、それぞれの表情と言葉とそれを補う拙い想像で涙が長く出てきて、次の日は出目金みたいに目が腫れた。その翌日見た映画「人生フルーツ」も涙がこぼれた。87歳のチャーミングな奥様を残し、急遽した90歳のチャーミングな旦那様との日々はとても潔く、豊かだった。急遽の死となり、別れの言葉を奥様が発した時、切なく苦しかった。どちらもドキュメンタリーとして、一つのカタチが「終わる」までの長き過程と抱いた気持ちに触れ、自分の心の中に大きく風がふいた。

終焉に向かっている現職は、10年程の勤続年数でそれらに比べたら大したことがないのだが、時間の長さだけではなく、見えない気持ちのキャッチーボールをした人たちとの別れが近づき、最後のやり取りの数々が心に響いている。特に年齢を重ねた人たちのお別れの挨拶は、自分の考えていたやり取りとは違っていて、これまでの経験でお別れすることに慣れているのかなと思い、それなりなのかと思ったがそうではなかった。それぞれにこれまでの色んな別れを知っているから、そしてもしかしたらもう本当に会えないことも悟るからか、優しく涙脆く接してもらった。オレは今、人一倍感傷的になっているかもしれないが、ただ「人間」が好きなことを自覚する日々。俺はこれからも泣きますよ。マジックバスからセンチメンタルバスへ乗り換え完了の、2018年春です。

今3つ

今3つの仕事場の交差点にいます。現職と臨時職と今後職の3つ。滅多にないシチュエーションで、心の置き所を転換させなきゃいけないので、結果、戸惑っている場面がある。戸惑い時間の最たる帯は、朝起きる直前。ん?今日はどこに行くんだっけな。何をする必要があるんだっけな。と寝惚け眼で少し混乱している。休暇であれば主役は自分なので毎日違っても困るはずもない。仕事は、相手や特定の雰囲気があるので、チューニングしなきゃいけない。ルーティンが崩れると戸惑う構造になっていることが嫌だが、自分のくせをまた一つ発見した。そう考えると仕事というのはよくよくカスタマイズされているんだなと思う。演じるほど変化をさせていないが役割や立場が違うとよく言えば面白い。受動的にカスタマイズされていた楽な状況からの脱皮は、新感覚を文字通り自覚することが重要ではと思い、その最中に心境を記録。また、現職は力の何%を使っているかと言われれば、臨時職も同じく、今後職も同じく。一つしかない自分のパワーを分配しているとも言えるが、どれも今1つ。違和感からの正気を保つために日捲りカレンダーのように、それぞれの残り日数を毎日書き換えている。しかしながら、この最中には気づけないこともあった、特殊な状況であっても、当たり前の状況であっても然りなことで。どうしても希望の方に目を向けがちだが、今は、振り返りながら進める、という大事な帯だと書きながらまた気づけた。「書く」は自分にとって必要な活動だな。ありがとう「書く」。何を思い出し、気づいたかというと、、先に進むということはもう帰れないことも意味するということ。出会ったヒトたちにお別れをすることに、これからは目を向けてみたいと思う。「さようなら」を言える相手がいる幸せと寂しさを忘れないでゆこう。

サンデーナイトホーム

日曜日の夜の駅のホームが好きだ。寂しさが漂っていて落ち着く。昔から好きだ。寂しさも孤独も好きだ。それだけではもちろん嫌いだ。闇がないとヒトはきっと空虚な容器にしかならない。それだけがサンデーナイトホームを好きな理由ではない。漂うエネルギーが明らかに少ないのが安心する。穏やかさがあるのだ。ホームにいる人たちの顔が優しく見える。一週間を終えてホッとしている顔、休日を充実して終える顔、大切な人に会えた顔、、ムキになって、無理して窮屈な移動列車に乗っている疲れた顔が少なく、本来持っているそのヒトの顔が浮かんでいるのだ。そんなホームは、境界線がない一つのセカイに見える。みんなが一緒、みんなが主役、みんなエモーション、ステキなパッション、、自分のもつ感受性をもっと隠さずに生きていたい。音楽がよく響く1日をもっと過ごしたい。映画をみて心揺さぶれるヒトでいたい。素晴らしい読みモノに出会いトラップしていける軽やかさが欲しい。そばにいるあのヒトをいつも愛おしく大事に思っていたい。俺はこういう気持ちや意識でもっと入れる漢だ。そうじゃないとなんてツマラナイ人生じゃないか。春風が届きまして、出会った気持ちを記しております。

卒業証書をもらったよ

久々に熱が出て、少しの悪寒が走り、それがいつものごとく気持ち良く感じられた。そして終日寝た。休みに風邪引くなんて会社の申し子ちゃんだ。そのかわりに、長女ひかりと約束していた動物園に行ってあげれなかった。必ずリベンジするからと強く思う。俺はドタキャンされるのが昔から大嫌いだった。体調不良にちょうどなってしまう人も、何やってんだよと悪態吐きまくり。楽しみを奪われることが心底許されない行為なので、奪う側だった今回のことは倍返しする所存だ。今週は「稀」の括りいうことで、自由大学の【サイエンスR道場】の講座を受けた。一日講義で5万5千円。自由大学で最高額講座の一つだ。高いということは、受ける側の覚悟も安いものを買う人達とは違う。こちらは貧素な財布事情なのでなおさら。なぜこれにしたのか。キャッチコピーが良かったから。「勘・経験・度胸だけでお仕事していませんか?」というものだった。そしてアナログ、文系の自分と真逆の内容だったことが最大の理由だった。もちろんこれから利用できるかもと思ったのも理由であるが、講義を受けた直後の今、到来の目的通り、この行為自体がゴール達成だったと思っている。1日何かを受けたって、身につくものはとても限られている。きっかけが欲しかったのである。きっかけとは沢山の転がっているが、その中でいいタイミングのきっかけは極めて少ないと感じている。その為に値段が高いことも意味があったし、上記のような理由のある内容が必要だったという寸法だ。講座に行くまでとても重荷に感じられた時もあったし、とてもリラックスできていた時もあった。当日もそんな両面で過ごしたが、知らない学問の世界、参加者の若者達の意欲、学力レベルの高さ、これまでの自分の不甲斐なさ、やれば出来そうに感じられると同時に飽きそうな数値との向かい方、終了後には世の中はちょっとすごいんだなと思えるほど、世の中と距離を感じた帰り道、、、いろんな考えや感情になるきっかけがいっぱいあった。モチベーションが学びの最大の栄養。そんなに簡単に変われないよ、俺は。でも、もらった卒業証書が気持ちを落ち着かせてくれたのだった。

 

発想の転換

発想の転換が色んな場面で出来る能力がほしい。コトバの使い方も変わってくるし、そういう言い回しが出来るヒトに畏怖を覚える。最近、本を読む必要があり、色んな種類の本を読んでいる。その中で印象的なコトバが多くあり、それが頭の中に一瞬残り、消えて行く。完璧な読書はないけどもったいないなと思っている。なので大事な物はメモを取るようにしている。三日坊主になりそうだけど。発想の転換の代表話の仕方は、例えば話だが、その例えを引き出しから出せるような思考が発達していない。いきなりの例えばだが、100万人が一回来る場所を目指すか、1万人が100回行きたい場所を目指すかによってすることは変わる。そういうことを常に考えている脳の訓練みたいな事が必要なんだと思う。アイロニーとユーモア、ボケとツッコミ、根拠を疑うことと見方を変えること、、言い方はなんでもいいのだが、捉え方ひとつでセカイは変わる。本当にその通りだと思う。自分の心の目次第だ。狭義に固定化したくないけれど、その居心地の良さで作り上げられたセカイが目の前にあるので、破壊しデザインしたい。現状の状況に不安や疑念もあり、あり続けている。3.11を結婚記念日にした理由もそこにある。自分次第と言いながら、自動的に厳しく言えば隷属的に過ごす、終わりある旅よりも、もっと心揺さぶれて生きていきたい。こんな雁字搦めな根っこの上にシンプルな花が咲く。そういうPOPな生き様を一生をかけて作り上げたい。心から。

『めちゃいけ』が終わる

また、TVの話。『めちゃ×2イケてるッ!』が21年の幕をおろす。『笑っていいとも』『みなさんのおかげでした』と『めちゃ×2イケてるッ!』では思い入れがだいぶ違う。『笑っていいとも』は時間つぶしのTV番組で、見ている時に幸福を感じた事はなく、だいたい「無」か「昼からこんな番組見ている俺の人生って・・」と思う程度だったのでタモロスはなかった。『みなさんのおかげでした』は宜保愛子のコーナーなど一部のコーナーに想い出はあるので、『笑っていいとも』よりは親近感もあるが、とんねるずで笑えなかったので、いまだにとんねるずの二人が謎の存在で、顔をみるだけで不思議な気持ちになる。この二人はどんな存在なんだろうって。そして、『めちゃ×2イケてるッ!』。大好きだった。片岡飛鳥プロデューサーは電波少年の土屋、ガキ使のガースーとともに裏方モンスターの一人で、エンドロールに流れる構成作家などの名前を見落とさないように見ていたりした。この番組と同じ作家やディレクターだと、違う番組が面白いと感じた時の裏付けになった。音楽作品もプロデューサーやエンジニアはとても重要だ。ウブな時代は、作っているヒトが桁外れで凄いと思っていたが、実はそうではなくチームであり、プロの集まりでの補完し合っていることに気づかせてもらってからは、裏方のヒトたちの底知れぬチカラに怯えるほどリスペクトしていた。ナインティナインが面白いというわけはなく、TV番組が面白いと思っていた。笑いと涙があって、ドキュメンタリーに近い作品だと思い、テレビの凄みも感じたもんだ。20代を青春と呼んでいいのか分からないけど、『ガキの使いやあらへんで』と『めちゃ×2イケてるッ!』は毎週見たりはしていないけれど、あのとき、沢山見て、刺激を受けて、泣くほど笑って、日本のお笑いが心底好きになった多感な時代に見た青春の番組だ。

終わると知った今、やはりちゃんと歳を取ったんだなとじみじみ思う。最終回は5時間らしい。必ず見ようと思う。万感込み上げるに違いないさ。

現在のノリ

現在の自分のいるセカイのノリが自分の中でどれくらい、影響しているのかという事を考えてみている。今読んでいる本の影響なんだが、実は知りたかったことで、着目してみている。会社、地域、友だち、家族など自分を構成している他者がある。そこに必然的に馴染む努力もしているし、馴染みたい欲求も高いし、居心地がかなりいからそこにいる。その場にいる間は、そのセカイのノリ、コトバの意味をまわりに合わせていく。共通言語を無意識にも沢山共有している。抽象的なコトバですら、近しい関係性であればあるほど、多少の誤解はあったとしても同じ感覚で使っているはずで、それは会社の組織でも顕著な気がする。いつの間にかしみ込んだノリやパターンを剥がしたいという欲求が高まり、その方法を探していたので、まずは自分の状態を知る事が出来て、前進した気がしている。俺は自分のやりたいやり方、周りの調和を気づくかぬうちに、何も迷わずにやっている。そのやり方を変えるということが、「学ぶ」ということなんだと分かった。「何を」学ぶかがもちろん大事なんだが、目的的に言えば「学ぶ」ことの意味が分かっていないと、今までと同じやり方で、捉え方で物事を吸収していても、現在地からは大きく動かない懸念。だとすれば、今のやり方・耐え方からはみ出す意識を持ち、はみ出す為の模索するネタを探すのが「学ぶ」。自分の捉え方や考え方に疑問を持って進むのは大変だ。アイロニーやユニークを前面に出し続けたいが、思考停止のほうの慣れが半端ない。将又、ここから旅立てるのだろうか。

2018年はいつもと同じような感じではなく進んでいる。微妙に違う程度で傍目からしたら何の変化もないに等しいのだが、同じじゃないようにと進んでいる。気持ち悪いと思うがそれぞれテーマを持って、マンスリーごとで考えている。2月は働いている。21連勤してみた。連勤が終わったときハングリーをちょっと思い出した。このハングリーさが10年前から欲しかった。40歳でも50歳でも必要な気がするハングリーさ。ハングリーがないセカイに長居していると、たいしたことはその先には起きないと思い、たかだか21連勤なんだが、21連勤する必要があるシチュエーションにいる自分に対してハングリーさを感じたし、目を背けずに感じる必要があった。そんな2月のライオンだった。そんな日々は一日平均3時間電車に乗っていた。電車はつまらない。電車オタクには今のところなれない。一番いい乗りモノは、夏や春のバイクだと思う。それはいいとして、電車の中では色んな声が聞こえてくる。昔、テレビ番組で「詩のボクサー」というのがあった。一人の詩人が「声」というタイトルをもらい、即興で40人程度のヒトの点呼を取るというのをやっていたのを思い出す。矢野「はい」中西「はーい」中村「はいっ」早川「はぁい」真中「イエス」鈴木「っはい」低い声・元気な声・印象深い声・ぶりっ子な声などなどを詩人は見事即興で、表現してみせていた。電車でも不必要に大きい声で話すヒトとかいると感性を疑う。なんでそこまで聞かせたいのか、いや何も考えてない、周りがみえていないダメなヤツだ。これを書いている間もいろんな声が方々から聞こえる。声の持ち主たちの、顔がみたくなる。声も顔と背中と同じく、そのヒトを表す立派な記号だ。声を失う時まで歌いたいと思い、終える。

スプリングマンは

春夏秋冬を感じるタイミングが着た。寒暖かくの変化前兆がやってきたのだ。40回目の春は、ディズニーランドにいこうと思っている。ディズニーランドのある浦安で俺は生まれた。成人式はディズニーランドでやっていない。そもそも成人式へ行っていない。式というものがおしなべて嫌いであったし、当時は特に旧友に会うのがめんどくさかった。ディズニーランドへは20回は行っていると思うけど、その数値はずっと心に残っているが、果たしてもうわからない。フィクションかもしれない。友だちや家族でも行ったでしょうし、一度だけデートしたこともあったような気がする。ディニーランドで販売している定番の薄いピザが好きだった。お土産で買いたい物はなかったが、シンデレラ城で売っているクリステルな置物に心惹かれていた時があったような気もする。乗り物ではカリブの海賊が好きだった。ジャングルクルーズのアテンダーに感心したり、人気のない着ぐるみを面白がって見てたりもした。色んなことを思い出そうとするけれど20回分思い出せない。なのに、ディズニーランドの花火を最寄り駅の舞浜駅自転車置き場でよく見た事や、建設中のディズニーシーの裏の海でよく熱唱した事、ディズニーランド周辺を途方もない寂しさで走ったことなどは鮮明に覚えている。今回のディニーランドは楽しそう。もっと浮かれて行けそうな気がする。だってもう楽しみにしているから。

旦那の稼ぎが悪いって会話が聞こえたら

よくありきたりなセンテンスだが、今、お世話になっている社長とベテランスタッフで会話されていたのが耳に入った。俺もその言われちゃう部類だなと、少し真剣な顔にもなったが笑、そもそもこんなことを影で言っているヒトたちに初めて会ったかもと思った。おそらく初めてじゃない気がしてたし、俺も言っている気すらしてきた。どんな心境のヒトがいうセンテンスなのか。そのヒトたちの特徴は、おそらく「お金重要」「現実派」「NOT ALL NEEDS IS LOVE」だ。正しいヒトたちだ。俺はお金を最近、欲しいと思っている。今まで低空飛行だったとしてもお金にあまり困っていなかった。それくらいの消費力だということに過ぎない(高級車とか買えない&そもそも買う気がない)だけだが、親や周りのおかげと自分もけして不真面目じゃないので働いて生きてきた。でも今は、もっとお金が欲しい。自分のためではないけれど、自分と同義語の家族との過ごす軍資金がもっとほしい。次に現実について。何が現実かはわからないが、一般論としての現実から目を離す事はあまり賢明じゃないことは、とうに肌身に沁みている。最後に、ジョンレノン。愛だけじゃないよね、世を渡るという事は。これらが2018年の俺のストレートなアンサーだ。でもこういうヒトとは友だちになりたくないなと思う。正しい考え方はつまらないから。もっとはみ出したい。お金ごときじゃ買えないスリルが好きだ。そのスリルは世には色々と存在していると思っている。俺はいまだに無い物ねだりのアイウォンチュー。セカイ中に投KISSしたい気分だぜ。

おねしょはないしょ

午前5時のLINE。おねしょの一報が41歳の友だちからはいる。1歳年下の俺を兄さんと、一報の本文で書かれている。俺が兄さん!?俺はおねしょ兄さんではなく、お漏らし兄さんだ。おねしょ君とお漏らし君は兄弟だが同じではないと返信した。おねしょ君改め、おねしょおじさんは、トイレの夢を見てとベタな話をなさっている。一方のお漏らしおじさんは夢を見ずに、粗相をして、少しの時間していないことにしたのが39歳。異常なのかもしれないがハプニングという位置づけ&自分の知らない自分がいる奇妙さを感じつつ、コレくらいの歳になると、違ったモビルスーツを着だしていて、コントロール出来ない事が少しずつ増えていくのかもしれない。と、何の話かわからないですな。所変わって、同じく今日。会社のとある人が万引きで警察に捕まったそうだ。仕事中に万引きしたらしい。しかも2度も万引きをしてつけられて。彼のベールに包まれた本性は、お漏らしをしている自分と同じくわからない。闇や病気、悪癖、嘘、惨め、ストレスなどなど当てはまる言葉もありそうだが、そういったことも人間の一部。綺麗な花畑だけなんてつまらないじゃないかとお漏らしおじさんは、兄弟を得て新境地に達する。本音をいえば、掘り起こさないでくれよブラザーです笑

しかしながら、一日に届いたこの二つのエピソードは、同じようにいて毎日も出来事も微妙に違うという、セカイの機微に触れたような気がするお便りだった。

映画をみるのが、好きです。

映画を見るのが特に好きになったのが、30歳の頃だった。当時、神楽坂に住んでいて、その当時の彼女が映画が好きで、その影響で映画を見始めた。それまでも名作やお気に入りの作品もいくつかあったが、映画を見るというよりも自分に栄養をつけるというような感覚で映画を捉えていたので、楽しんでみていた記憶は少ない。「ギルバードグレイプ」を高校時代に付き合った彼女とデートで見たが、よく分からなかったという記憶がある。今見れば難解さのかけらもないだろうが、映画なら、「BACK TO THE FURTURE」「アダムスファミリー」「ET」くらい分かりやすくないと特にヒューマンコーナーにありそうなジャンルは眠たかった。神楽坂ということで、ギンレイホールに出会い、徒歩で通えるので、「INTO THE WILD」を号泣してから、知識も前情報も内容を全く知らずに見に行っていたので、ギンレイホールのセレクトに従順に、どんな映画も見てみようとほぼ全作品を見る日々が数年始まった。違う映画館も家での鑑賞もその頃は励んでいたが、特にギンレイホールのセレクト、込み具合、雰囲気が好きで、感情が揺さぶられる、ハートウォッシングマシーンのような場所だった。ここ数ヶ月、始めた新しいお仕事のおかげで夜の時間が都会で出来、ギンレイホールなどの映画館に行く機会が少し増えた。

秋・冬に見た映画のランキングを残しておこう。

1、ベイビードライバー

2、エンドレスポエトリー

3、パターソン

4、三度目の殺人

5、ブレードランナー

6、南瓜とマヨネーズ

7、新感染

8、そろそろ音楽をやめようと思う

9、デビッドリンチ アートライフ

10、アウトレイジ

そしてこれから、スリー ビルボードを見ます。とても楽しみ。

 

陽炎がゆれる

2018年に初めてFacebookを立ち上げてみた。ずっと敬遠していたのだが、仕事で使う必要があり、そして新たな局面をどんどん切り開きたいと思い、拘りを捨てて立ち上げてみた。それより先にインスタグラムをこの謎のHPの為にと思って開設し、2016年の春より今日まで、やめずに続けている。その間、知り得ぬ情報も知り得ぬヒトも知り、実際に会ったり、行動が喚起されたりとプラスの事が多かったように思う。悪い事といえば、やたらと携帯電話を触っている時間が増えたということ。癖になっているし、義務になっている。何事もプラスとマイナスがある。常だ。Facebookは一層広くヒトに出会いそうだ。大変だ。え、あいつがとかへーそうなんだとか、おっこやつ、などと欲しても居ないヒトや情報が溢れていて、まだ新鮮だが、インスタグラムもあり二つも必要ではないと思っている。でも仕事でも必要なのでやり続けると思う。機能も知らないといけないし。こうやって何かに迫られ、ヒトは何かを初め、変わっていくんだな〜とぼんやり思う。失うモノはなんだろうか。そんなスピードで情報が集まったところで身体や心はひとつ。俺のペーズにはあわないし、2000年間なくても平気だったじゃないと本気に思っていたし、今も思っている。この写真のように電話もこれでいいし、手紙だけと慣れるまで大変かな。そんなに急がなくても租借したいものは身近に沢山ある。お得さもヘチマもないアナログ君は、ポイントや割引でも損しているんだろうし、定休日かも知らず、行ったら定休日とか(これは電話でもすむか)もたまにあって、周りが聞こえるような音で「ちぇっ」と発したりしている。でもそのせせこましさに気持ちがうっとりしない。そりゃ安くてポイント貯まる方がいいけどさ。なんか向けているベクトルが違う気がするんだよな。俺はそんなことに気を使うような暮らしより、陽炎がゆれることに心揺れる生活がいい。でもポイント貯まると嬉しい。お得だと嬉しい。以上!

見慣れているものだけどを思い出す

今日は渋谷でバイトさ。オザケンみたいな軽快でウィットにとんだ言葉が並べばいいのだが、バイトが終わり、少しヘトヘトだ。お気に入りの東武ホテル内のプロントでコレを書いたりしながら、19時20分からスタートする「デビッドリンチ・アートライフ」の開演スタートを待っている。そのプロントの中を西武百貨店の紙袋を持つ女性のが目の前を歩く。見慣れているような気がするデザインだが、今回、とても格好良く見えた。百貨店のデザインはおそらくだいたいカッコイイものが選別せれているはずだから、それもそのはずなのだが改めてよいなと思った。いくつの見慣れモノを思い出せるかなと考えているのだが、キリンビールのマークがカッコイイぐらいしか思い出せない。企業ロゴも古き時代性のモノは特に、視認性に優れていて、企業の哲学を汲み取って、名うてのデザイナーが作り上げている。見慣れているということになっているモノですら違える感覚は、残念ながらあまり持っていない。同じようで同じではない毎日を、鮮度を保って進んでいるヒトもいて、そういうヒトに恋をしてきた。自身もそういう日々の記憶もある。タイに初めての一人旅に行ったとき。全部が新鮮でウブに変身。ちょっと先の未来が未知数。誰と会い、何が起こるか予測出来ない。簡単にいえばワクワク、ドキドキした。いきているなと思って、テンションを抑えきれなかったことを、はっきりと覚えている。その最たる子ども時代は、毎日が楽しかった。特に遊ぶのが好きだったし、スポーツが好きだったから、その時間を常に待ち続け、しばしば明日の晴天をクリスチャンでもないのに前夜お祈りしたりしたもんだ。また、髪が多くて困り髪だった俺はどうしても髪を真ん中分けにしたくて、ピン留めを沢山して夜、寝ていた。サッカーの試合が授業である前日もピン留めして寝たのだが、朝取るのを忘れて、でも髪が多いから誰も気づかなくて(自分も)、サッカーの試合でセンターラインにボールを置くときに頭を下げたとき、相手のチームのセンターフォワードにピン留めを気づかれて恥ずかしい思いをした。にも関わらずサッカーが好き過ぎて、恥ずかしさよりキックオフが重要でかなりイッテイタ。そのままオトナになった子どもオトナもいる。俺は一番楽しかった時期は小学生だったような気がしている。

ヒトをわかるってどういうことですか?

他人の感覚を自分の感覚と同じようなモノとして思っている自分がいて、違うことが当然なのに、違うということがイマイチ分かっていないと思った今日だった。友だちが以前にくれた漫画「アンダーカレント」(著 豊田徹也)を数年ぶりに読んで、その中にでてくる台詞から、最初の一文となった。自分のことを分かろうとすることと、自分以外のヒトのことを分かろうとするのは見ている方向が違うようなモノで似ている作業な気がする。そして結論は、分かっている気持ちで居るのがおこがましいという前提で、自分のことも分かっていたいし、他人のことも分かっている安心の上で違うことを悩んでいたい、である。ただ、他人のことを分かっていることの安心感も欲しいけれど、「HIMITSU」は魅惑の人生のスパイスだという考えに書きながら至る。そう考えたとき、愛する家人も家族も友だちも隣人も仲間でさえも、知り得ている事はほんの一部である、その知り得ぬそのヒトを追い、探し続ける事を愛情や友情とよぶのかもと思う。相手がどんな気持ちなのかを注意深く推察せずに、すべてを知ったと思うような傲慢さがヒトを傷つける。そして、そのヒトを限定的な存在へと落とし入れ、大事な関係性を破壊する猛毒の一種なような気がした。年を取るとどんどん分からないことが増えて行く気がする。2月は働くぞ!

ともだちがいて嬉しさ増す

みんなに見守られて、一番長い友だちの結婚式の二次会で歌を歌った。歌った曲は長渕剛の「乾杯」だ。みんな知っている曲だから、いい曲だから、これにした。この場所にいたヒトたちの半分は知らないヒトだったが、半分ぐらいは知人だった。その中には長く深い友だちが沢山いた。俺の歴史を彩るヒトがその場にいた。そして、昨日、みんなに会って等しく誰彼と話して、改めて思った。気が合うなと。だから心から楽しかった。久々の感触の夜で、幸せを感じた。そういう日がやってくると自分自身を肯定できた気持ちとなり、不安も悩みも縮小する。きっとこの結婚式後には、もう集まるなら葬式だと話がでてたし、本当にそう思う。もう俺たちは40歳だ。変わらなさもまだあるし、変化も見えてくる。この後から一気に変化が表面化するんじゃないかと思ったりする。見た目も生活も。どんどん優しなりたい。もう優しくしない理由がないから。いろんな時代の友だちたちが同じ場所で交わっている。そんな情景の交差点がみえるビルに俺はいて、そんな風景をヒト一倍噛み締めてみていた。ビルからでて、止めてある青い車にのって、みんなを順々に乗せて、時間を逆戻りする旅にでたい。映画「キッズリターン」みたいに、「もうおわっちまったのかな?」「まだはじまってねぇよ」とはもう言えない。

これからは想い出も友だちも大事にして、乾杯と献杯を重ねねてゆこう。そう思った日でした。

無題 4分33秒ジョンケージ 改め433文字 

明日、14歳に同級生となり、中学校・高校と一緒に過ごし、それ以降もずっと付き合いを共にした友だちの結婚式に行く。40歳での結婚式だ。今のところピンと来ない。何も感じていない。ヒトの結婚式に興味がない冷たい人間だ。同じ式でも葬式のほうを気に入っている。そんなことを言っている余裕はそう続かないだろうとも分かっている。格好つけるのはよくない。葬式を重ねた後には、きっと結婚式が断然好きになるだろう。誰かの喜ぶ姿をそっと喜べる人間は美しい。俺は今まで美しくない。いづれ結婚式を好きになる時は、美しくはならない。気づくのだ。そう思っている。上辺で分かった顔しちゃいけない。気持ちがそう感じなきゃ本物じゃない。結婚式の仕組みやお金の高さや、押しつけががましさが嫌いだ。ただそれだけの理由だ。細部に拘ることは大事だ、それは姿勢だ。それは生き方だ。ここまででだいたい433文字。

俺が結婚式前夜に気づいたのは、その旧友が今どんな気持ちでいるのかってことだったり、親御さんはどういう日を待っているんだろうかということ。本人も親御さんも40年間待っていたのか、安堵したのか、そうでもないのかは、表情みたら少し分かるのかもしれない。26年前に君と出会った時から、今まで離れず付き合ってくれてありがとう。友だちも何人か死んだよね。生きているだけでいいよね。結婚式なんて君らしくないね。奥さんは喜んでいるんだろうね。結婚式がどこかで続く世界でありますように。心からおめでとう。

Bishが好き

俺は定期的にアイドルが好きになるようだ。アイドルを好きじゃないヒトからすれば、大丈夫かおじさん?となるだろうが、そうだと俺も思う。でもアイドルは虚像の最たる物とはいえ、日本芸能界の長い年月で作り上げられてきた「製作物」としてはかなりの熟練度があるといえる。橋幸夫や御三家、ジャニーズ各位、おニャン子クラブ、松田聖子、ハロプロ、AKBなどど真ん中コースがあるし、どこまでがアイドルかもわからない状態だ。バックにいる事務所などによる、どのようにセールスプロモーションするかの術もとても巧妙であると思えるし、時代にマッチした偶発的必然性もあるに違いないし、その本人自体の特異なキャラクターや努力も凄まじくあるはずだ。アイドルなのに、地下アイドルというアングラも立派に存在し、アイドルは深化の一途を辿っている。自分たちの“モノ”からみんなのモノになったと感じる瞬間からアイドルは、大衆化してしまうようなモノなので、いくら独特な個性を持っていたとしても独特な個性とは中々呼んじゃいけない感じとなる。あまり知らないが、AKBの成り立ちも独特な戦略だったようだし、ジャニーズの支持のされ方・作り方もよく考えれば希有だといえるし、おニャン子クラブの素人感も当時は画期的だったはずだ。単純にアイドルと名付けられた時点でユニークじゃないものに見えがちだが、特に気付いていないだろう、大丈夫かおじさん?と思うヒトにこのように伝えたい。前置きが長くなったが、アイドルを生でみたことは数少ないし、頑張って好きなアイドルを捜したり、情報を集めた事は一切ない。気付いたら自分の視界に入り、魅了されている。おニャン子クラブは唄がとても好きだった。今も良く口遊む。派生したユニット、うしろゆびさされ組の曲が特に大好きだ。ももいろクローバーZも友だちがくれた編集DVDに沢山曲が入っていて、5、6年前に大好きになり、大阪のサマージャムでライブを見て喜んだ。

そして、今。Bishがとてつもなく大好きだ。気になりませんか?笑

 

雪が降るとさ

今日は、関東平野にも雪が降り積もった。ご多分に漏れず、交通機関は麻痺している。帰宅を急がすアナウンスが、我が会社でもインタネット上でもTVでも盛んに発信されている。その空気を知ってか、交通機関はちゃんと滞っている。新潟や秋田や北海道のヒトたちはこんな都会のニュースをみてどう思っているんだろうか。一介のサラリーマンである私は、この好機をちゃんと活かせている。そういう状態の中の気持ちで舞い散る雪を見ていると、世界がブルーにみえる。帰り道に中学生と小学生の姉弟が携帯電話で雪を写真で取っていた。タクシーを待つ長蛇の列がみえた。駅のホームに雪が落ちる。街も寒そうだ。たまにしかない天気は、それぞれの記憶を呼び起こす。茅ヶ崎での最初の雪、駒沢大学駅近くに引っ越した直後に降ったあの雪、大阪駅近くで積もらなかった雪、三軒茶屋の道がその後凍結した雪、神楽坂の景色を白に染めていた大雪、西新宿でサラリーマンもホームレスも凍えさせていた雪、大泉学園で見た切ない気持ちになった雪、福岡市にいてTVで見た雪、初めての一人暮らしで寒さが沁みた雪、実家で感じた退屈な雪、・・・冬はいつも寂しくて寒くて嫌いだ。寒さは気持ちを剥き出しにする。冬を歩く先に、春がある。今、そんな心境。さあ歩くぞ。

お笑い日本

ずっと日本のお笑いが好きだ。ダウンタウンが思春期で、「めちゃいけ」の勢いや番組企画も大好きだった。構成作家が誰なのか、プロデューサーは何をしているのか分からなかったけれど、誰なのか、兎に角関わっているヒトも気になった。それは音楽アルバムのプロデューサーが誰なのかと同じで、その頃はプロデューサーが何をしているのか分かりようもなかったけれど、きっと大事なんだろうと思っていて、TV番組もそんなことを気にしていた。なので番組終わりのフロップも注視していた。独特さよりも面白さがお笑いでは重要だった。なんでこんなことを瞬時に言えるんだろうかという、その角度にかなりの衝撃を受けていた。周りの友だちも面白いことが好きだったのもあって、「笑う」ことがとても好物だった。笑いすぎて涙を流していたことも幾度もあって、そのときの多幸感といったら格別だった。現在も、その潮流は続き、TV番組もお笑いはかかせない。日常のユーモアもかかせない。色んな芸人が好きだ。芸人を尊敬している。千鳥、ロバート秋山、ジミー大西、すっちー、有田、サンドウィッチマン、ナダル、西川きよし、江頭、内間、ジャンポケ斉藤、ダイアン、、そしてダウンタウン。思い出せないヒトもいるのでもっと沢山いる。25歳の時に仲良くなった一つ下の友だちがいて、そいつはお笑い芸人を目指していた。そいつの相方は志村けんの付き人をやっていたのを覚えている。そのコンビは芽が出ず、やめてやがて劇団員になった。そして30歳の時に、親を支えるといって高知に帰っていった。色々あって中々、連絡がつかないが、そいつの当時の彼女とは今もとても仲良しだ。そいつと会話していたときはよく大笑いしたものだ。

時代はいつも過ぎ行く。今の時代もいつかすぎゆく。過去も未来も大事だが、今を大事にしなくちゃな。

選んだり選ばなかったり、その選択

最近は、ここ数年にはない、方向へ進みだそうとしている感がある。この幻のような感覚をその最中に獲得するのは、ロジカルではない部分もあるので、もしかしたら幻。いつもの元さやへになるかもしれない。ストレートな表現でいえば、変わりたいと渇望している。渇望してきた。今年、変化をつかみ取ろうとアグレッシブさを出し続けたい計画だ。事故や病気、落とし穴、思わぬ結果にご用心。リスクとリターンは紙一重。兎に角、今とは違うペース、活動へを渇望している。1月18日現在、今年はその計画は順調だ。その順調さがいつ途切れるかは心配していない。脳を麻痺させて、迷うより進め!とインプットさせている。見た目には何も変わっていない。そしてまだ何も変わっていない。これから変わり始めるのである。まずは仕事を変える。そうすると会うヒトも変わる。行く場所も変わる。やることも変わる。それは大きい一歩。そこがゴールではない。これまでやっていないことややりたかったことを始める。この計画は、有言実行してから記録していきたい。特段、苦しいことがあるわけはない。すり減らしていることが苦しい。自分のポケットに入っているエネルギーも意識もすり減っていると考えている。それはだれのせいでもない、自分の活動量のせいだ。ゴールも決まっている。「いつか死ぬ。それまでを懸命にやっていきたい。」それが唯一のゴールで、そのことから目をそらさないように少しでも努力したい。目的は別にある。家族や自分や仲間、そして社会が幸せに感じられることを多く体験、提供、味わいたい。本当にストレートな気持ちを今日は書き記している。やりたいことは明確にないと、気付けないと遠回りする。そう思っている。その間に、変容したり諦めたりする。いくつになってもという言葉で臨めるヒトは限られている。10代は大事だ。子どもにも嫌われても伝えたい。好きなことをやれる恵まれた人生を少しでも歩みたいなら、本気だせだ。穴をほれだ。俺も今やっと、目的もって出発していると思っている。

おもしろきなき世をおもしろく

年末年始で読んだ、のん×スチャダラパー対談で、昔のヒトは戦争のことを自然災害のような感じで捉えていたのではと書かれてあったのが、とても印象に残っている。現代でも自然災害だけは、よほどのことがあるヒトでない限り、突然舞い襲ってくる。たら・ればで語られがちな評価の中で、事前の状況を少しだけ人災とくっつけたりしている時もある。戦下の自然災害と人材のポジショニングの逆だが。その点、戦下ではインターネットもTVなどのスピーディな情報網も全くない中、一方的な教育や情報投下で、善悪が異常に設定されていることも知らず、爆弾が落ちてきて、火事になったり、建物が倒壊してきたり・・の連続で分別のつくオトナたちは、意味のわからない子どもたちはどう思っていたんだろうか、自然災害のような感じ、、が合点がいく感じがした。

自分が置かれている状況を常にどう考えるかは、生きることと死ぬことをちゃんと向かい合っていくことに近くにいるような気がしている。不安や心配、あきらめなどの類いの発生元は、だいたいくだらないことだ。そのくだらないことは自分の生活の中で否定出来ない「部分」を閉めているが、そのことが中心であってはならない。中心は、『いつか死ぬこと、それまで生きること』だ。仕事や人間関係、お金、地位や名誉なども生きる一部だが、それが中心ではない。そのことを、我が家の赤ちゃんの笑い顔が教えてくれる。徨い見失うときもあるかもしれないが、今年も頑張ろう。大切に生きようと思っています。

ホリデーをノリノリでー

年末年始は、家族で過ごすヒトやゆっくりとテレビなどをみて休息するヒト、旅行やイベントに積極的に参加するヒトなどがいて、そういったペースをもてた正月を過ごしているヒトたちを横目に、自分としては毎年いい心構えで過ごせたことがない。勝手な妄想で嫉妬をしているだけなのだが、正月を過ごすということを意識すぎている。もっと素敵な過ごし方をみんなしているんじゃないか、私の実家はつまらない正月文化だったと思ってたりする。夏の休暇はだいたい旅行を目指す、ソレ以外の休みの過ごし方に過剰に期待をしている。ソレ以外の休みがほとんどないという社会人であるという残念な生活であるともいえる。お金が足りていないから創意工夫が必要となってくる。好きなことをしていればいいのさと言われれば知っているさと答えれるし、一人で過ごすことも嫌じゃないのだが、なんだかもったいないことがあるのではとつい思ってしまう。今回は珍しくほとんど仕事の時間がない6連休となり、その連休スタート前夜の興奮は中々のものだった。それだけ休暇をのぞんでいる。私の今回の過ごし方はこんな感じだ。記録しておこう。読んでくれている方がいるとしたら、自身と比べてどうですか?今度、この件で話しませんか?

大好きなTV番組の「72時間」の特番を涙ぐみながら見ることに始まり、大掃除、毎日1時間ぐらい走る、子どもとあそび場に行く、海を散歩する大晦日TV番組「笑ってはいけない」を見て笑う、本をいくつか読む、箱根駅伝を2日間見に行き泣く、珈琲を飲みながら音楽を沢山聴く、友だちのプレゼントを買って渡しに行く、お酒を毎晩呑む、美味しいものを毎日家で食べる、凧揚げ大会に行く、友だちが2日間泊まってくれた、明日は温泉施設に行く。いいことだけ書いておく(悪いこともさしてないが)。

家人の沙蘭は、サラエボオリンピックの年に、名付けられたらしい。さらと読む。その家人が私や家族にあわせて支えてくれているから、毎日がある。今年もどうぞよろしくお願いしますね、さら。

箱根へ向かう道の途中で

14,755日目の朝をおそらく迎える私は、もう立派な年齢なのだが、朝の起きる瞬間まで気分がよくない。苦しい感じが最近ずっとしている。起きて自分の家族が眼前に現れて、一気に明るい気持ちになる。満足した睡眠が少ないのかもしれない。それはいいとして、特に長女ひかりは、ここ数ヶ月、寝起きがとてもいい。目が合った瞬間に投げキッスをしてくる。その後、私のベッドに潜り込んでくる。そして、誰を愛しているのか話をしてくる(そのとき、私は対象から省かれていることが多い)。ひかりはいつも元気というか、生きる喜びを全面にだし、影がない。これから人並みに影が付いてくるんだと思うが、そんな一人の人間を見ていると、こちらは元気がうつる。

とある日の午前中、私は光ゲンジを口遊み、「ひかり」という名前の構想がスタートした。二人の初めての子どもであること、震災や悲しいことも知った自分には希望の光だったし、誰かの足下を照らせるような夜光虫のような優しいヒトもなってほしい、なにより自分らしく光ってほしいと、ひかりの名前を名付けてみた。

話変わって、2018年の今日、箱根駅伝を期待十分に見に行った。ハイライトは山ほどある最高のLIVEだった。家に還って中継もみた。家人も私も何度も涙ぐんだ。ランナーの懸命さ、沿道の声援のボリューム、給水係を務めるキャプテンのストーリー、追随する車中にいるコーチのマイクから発せられるメッセージ、、、。往路最終区に順位を一気に落としたチームもいた。追いかける車中にいる、親でもあるチームの監督が呼びかける「これまでの、みんなで繋いだたすきだぞ、明日につなげるぞ」。今にも倒れそうなそのランナーは、食いしばってゴールにむかう。申し訳ない気持ちだっていっぱいなんだろう。どんな努力や想いがあってのこのレースなのか想像だが伝わっているよ。それを支援したり応援したりしているヒトたちも沢山いる。「がんばれー!」「がんばーれ!」「いけー!」「ファイト!」「負けるな!」

ヒトのカタチをした色んな光をみたよう気がした。

2018年の幕開けじゃ

よく晴れた正月だ。目の前に大橋歩さんの文庫本「日々が大切」が置いてある。大橋さんを良く知らないけれど、このヒトの歩という文字が本屋で目に入り、家人と歩という名前の候補となり、一気に歩に決まったのである。その直感の後に、歩という意味合いに少し想いを膨らませて、夫婦の中では、即決に近かった。その後も名前付けまで時間があるので、対抗馬を勿論探したが、出てこなかった。ネーミングの天下一武道会で歩が優勝したのだ。ネーミングは舞い降りる代物だ。舞い降りるまでには経験や思想が混在するので、どうでもいいのではない。練り練ったネーミングも素晴らしいだろう。凄い精神力だともいえる。結局一番最初のアイデアが良かったりすることも往々にしてあるだろうし、はっきりとランキングが付けばいいけれど、袋小路に入ってしまって苦しい場面もあり、結局は自分でこれでいいんだという直感が効くはずだ。字画で選ぶヒトもいるけれど、名前だけ字画採用しているんだろうかと思ってしまう。名前が特に大事なのかもしれないが、太古から名前は呼び分けやすい為の便宜上の記号だったはずだ。名字にはおそらく血筋という大きな冠があり、族を表すのでこれまた大きな記号だと思う。記号の内容を文字のカタチで決めるなんて、すごい原始的だと思う。俺には分からない感覚だ。デザインというカタチでいいならプリンスのようなマークがいいなと思うよ、お父ちゃんは。歩、今年は2回目の春をむかえますね。まだまだ初々しいでしょうね。今年も生きていこうな。

2017年さようなら、2018年こんにちわ

2016年からはじめたこのブログも3年目をもう少ししたら刻みだす。毎年、希望を添えて振り返り、新年を迎えている俺。芸がない。

2016年最後のブログ11月27日と2017年1月4日のブログを読んでみた。引っ越し直後ということと、師走の仕事等の忙しさが相まって、色々あったのかもしれないがブログにはたいしたこと書いていない。抽象的度合いが今よりもあるような気がした。今年一年でなんとなく、掴めたことは具体性だったり客観的だったりする。そのレベルはまだまだ低いと思うけど、2017年はその偏差値が少しだけあがった、あげていきたい想いが募った。そのおかげで出来なくなったことも沢山ある。失ったものは、「恥知らず」量だ。それはいいことであるようで、弱さでもある。恥知らずであるべし、その為に磨く努力があるべし。その相反する位置づけの状態を持ち続けたもののみ、チャンスから目を背けずに、闘うことが許され、人生のロマン飛行に飛び立つことが出来ると思う。

今日、家の掃除をゆっくりとしている。家人はめちゃくちゃやってくれている。ひかりと歩はいつものペースで、ちょっと年末年始の雰囲気を感じている。音楽を聴きながら、コーヒー飲みながら、本を読んだり、部屋を片付けたり、モノを家を大事にする気持ちで掃除をしたり、家族で時間を一緒に過ごしたりしていると心が落ち着く。こういう普通のことをこれからも大事に、大事にできるような生き方や考え方で歩んでいきたい。

歩が生まれた3月。初めてお店をやった8月。いろんな出会いがあった12月。バイクのドウカティとはさとうならをした。

恥知らずでありながら、何かを前進させれる来年であれたらいいなと、初めて買ったダルマの左目に目を入れた。

E.YAZAWA

待ちに待った日といって過言ではない。そういう日があるだけでなんて幸せなんだろう。そういうハレの日を、みんなどれくらい持っているんだろうか。俺は毎日がそうでありたい欲張り派なので、日々を少し我慢して、例えばジャニーズライブやディズニーランドへや、ちょっとした旅、海外旅行、高級なものの購入(マイホーム)などへの日々努力の転換を選択してこないほうが多かった。それはそれでよくて、後悔もない選択なのだが、時にそういうことをベースに進撃しているヒトをみると、へーって思ったり、無い物ねだり的な羨望の眼差しでみていたりする。そんな大きな起伏のない草木や実ががボウボウに茂った道を歩く、我がサンダーロードに大きな巨木が待っていた、それが矢沢永吉ライブだった。仕事が連勤でもあったので、モードの切り替えは中々進まない気分だったが、ライブの前に行った個展(根本敬さんの「樹海」)がとても良くて、且つご本人と、スチャダラANIさんが偶然いて、嬉しいハプニングでテンションがあがったおかげもステップとなった気がする。

そんな夕方だったので、ミズマアートのある市ヶ谷は、深遠な世界のように思えた。普段とは違う異世界。市ヶ谷飯田橋神楽坂四ッ谷九段下麹町・・この辺りの世界観も好きだ。寺院や宗教団体本部も数多くあり、皇居外堀内堀、江戸の香りもするし、商人の匂いもする。大学や企業も多く、芸術関連の施設や隠れた名店も多いのではと思う。そこを歩くヒト々は、あまりうかれず、街に染まっている。そこを歩くだけでテンションが変わる。好きなお二人に会った後、気持ちがあがりながら、歩行していると靖国神社がみてきた。武道館も近い、皇居周りの警官も増えてきた。そんな風景の中に、異色な背中達が現る。E.YAZAWAの文字だ。この文字には深くて広くて熱く、優しい意味があるのは武道館で知ることになる。人々をここまでトランスフォームさせる力、それも染まりやすく移り気な若者でなく、少数ではなく、短い時間ではなく、、あるのは、それが矢沢永吉さんだからだと知りました。応援する彼らや最近ファンの私のようなヒトたちの為に、歌い続けてください。日本に必要です。あなたのような男が。絶賛!

K I M O C H I

zazen boysの曲に「KIMOCHI」というイカした曲がある。KIMOCHIをどう表現したらいいか、とても難しいときがある。フィッシュマンズはよく「気分」という言葉を歌詞で使っていた。どちらも好きな言葉だ。伝達するのが難しいKIMOCHI。自分でコントロールするより先に辿り着くKIMOCHI。スチャダラーパーのライブは最後尾で壁に寄りかかって見ていた。雰囲気はとても良く、久々な中規模ライブに来れて、嬉しさも込み上げていたが、来るまでに会ったことや時に仕事のことも頭がよぎり、集中しきれていない自分がいた。DJせく山のセレクトも悪くなかったし、時より挟むMCは好きなテイストで、面白かった。前座のKASHIFもいいギター、これまたいいMCだった。そして3曲だけというのも俺にとってはグッときた。でもまだKIMOCHIの花は開かない。本編の幕が開く。Bスタイルでポーズを決めたMC3人がパーカーのフードかぶり&キャップルックで登場。かっこいいぜと思ったが、まだ2分咲きぐらいだった。知っている曲も幾つかあったが、ほとんど知らない曲をさらな気持ちでみていた。コール&レスポンスも積極的に参加。リキッドルームの音響担当達の表情も何回盗み見したり、関係者が集めるエリアの盛り上がりやどんなヒトたちなのかという興味もわき、たまに見た。BOSEの曲間MCは秀逸で、軽快でアッパーで面白く演者も観客もうまく乗せていく。プロだ。力があるなと思った。1曲1曲と階段を登るようにKIMOCHIは少しずつ花びらが開いていった。スペシャルゲストがego-wrappinだと分かり、出てきたとき、、ついに花は開いた。ミクロボーイとマクロガールの曲、あのギターのリフや歌声が響いた時に「うぁー」と素直に開いた。そのまま「今夜はブギーバック」がサービス披露され、最後の曲「いまがBEST」(曲名違うかも)ではみんなで「BEST」と連呼し、とても満足、いい興奮へのぼっていった。ミーハーなスチャダラパーファンだ笑 

俺はこれまでライブでは、KIMOCHIを常に出すタイプで、声を張り上げたり、踊ったり、叫んだり歌ったりしてきた。その時間が短かったのも自然な今で、それくらいの「好き」なのかもしれないし、年を取ったからもしれないし、仕事の余韻で汚されていたのかもしれない。次は矢沢永吉ライブ。スチャダラパーと似たような距離感だ。自分のKIMOCHIを知る臨床実験の場がライブハウスだ。

生活していれば

生活していれば、色々なことが起きる。娘ひかりは元気に転んで、縫った。元気だと思っていた同僚が心に風邪をひき始め、長期休みに入った。ずっとガリガリだった私は、いつの間にか肥えてきた。あんなに仲良かった友だちの幾人かとはもう会える関係性はない。家人のお母さんとは、出会いから受け入れてもらえず、長らく疎遠だったが、急遽我が家に先日、訪問がされた。スチャダラパーライブに我が家を出発する10分前に登場された。髪をセットしているとインターフォンがなり、家人が「お母さんがきた」と言って家の外にでた。家人もいつもトリッキーなことを言ってくるので、「えっ?」と言い、どうせ変なこと言っているんだろうと油断していたら、またインターフォンがなり、オートロックをあけてくれとなり、家の扉が開き、お母さん登場。ピンクのお洒落なハットを被っていた。

その後の展開はさておき、俺はスチャダラパーのライブに間に合うために、駅に向かって全力で走った。

電車の中ではいつもの風景。冬の昼間の電車はとても空いていた。さっきあったことを反芻したり、電車の長旅の時間を埋めるべく携帯電話をいじくったり、リキッドルームに一人で行くこと自体にやや緊張したり、過去と未来を当分に想いに耽った。お母さんは仕事が変わっていないことと部屋の雰囲気がいいと言葉にして安堵していた。「生活」の様子でその人の暮らしや関係性が計り知れるのも頷きつつ、安定より自分らしさが心地よい自分の心持ちが強くあるが、周りのヒトたちの思いに触れて、少しだけ違った考えが入ってきた気がした。電車に乗っているヒトの数だけドラマがある。それぞれにとっては大事なドラマ。他人のドラマを見たくて月9のドラマもあるんだなと思ったりもした。

明日はスチャダラパーのライブ

明日は、リキッドルームでスチャダラパー「暮れの元気なごあいさIII」に行く。いでにぃも来る。スチャダラパーも来る。まだどちらも知らないんだけど「KASHIF(PPP)」がライブ、セク山がDJする。全然疎くなってしまった現代の音楽家たちの今。スチャダラパーは暦が長い先輩なので、俺は楽しみだけをもって会いにいける。他のお二人は知らずに行くこと自体が恥ずかしいことなのかもしれないが、今の俺の実力では知らない。その昔、ソニックユースを新宿にあったリキッドルームでみて、前座で出演していた「想い出波止場」を知らず、少しいきって野次っていたことを思い出した。若さとは恥ずかしさ也。ただ、予習をしていこうとする気持ちは今も昔もない。映画も個展もそうだ。評判は終わってからたまに照らし合わせる時があるが、それもたまたま見かける程度だ。自分が良くて、世界が悪くて結構。自分が良いと思わなくて、世界が良くて結構、コケッコッコーだ。ただ、その時のフィーリングにどう響くか、味わえるかが真剣勝負。作ったヒトとのガチンコ相撲だ。それがなによりシンプルな姿勢だと思うし、当たり前すぎる話だ。昨今、評価や評判がうるさすぎる。外野のおまえらが、偉そうに、自分の人生のはけ口に悪口を咬ましているような、SNSやTVショー、評論家のヤフーニュースを目に入り、イカレてるぜと思う。仕事をしていても同じだ。周りを気にするより、自分の今ままでより前進しているかの方を気にしていたい。俺は、スチャダラパーのアルバム「ポテンヒッツ」と新しめシングル「あにしんぼう」しか持っていない。「今夜はブギーバック」で止まっている俺のハートに火をつけれるかスチャダラ諸君。俺は、好きになったらすごい好きに、そうじゃなかったらすごい評論家になるぜ。

でもね、評論出来るのは尊敬している証じゃないとね。尊敬していない評論は悪口。俺も悪口も言うけど、悪口言っている自分を誇っていることなんて全くない。情けないと思っている。

スチャダラパーはずっと続けていて、最前線か分からないが、こんな距離感の俺も行きたくさせる歴史があり、今も心に残る作品やコラボレーションを生み出し、すごいなって思っているから、明日が楽しみなんだ。

呑み屋の俺、オーレ!

川崎駅すぐそばにある、「丸大ホール」という呑み屋に友だちといった。昭和風情の呑み屋が特に好きな自分は、そこに入っただけで間違いないと確信した。所狭しの相席ぶり、おじさんとしがないサラリーマンしかいない客層、おばあちゃん&お姉さんの無愛想さ(本当は愛想があるがみせない)、メニューの多さ、安さ。。俺の好きになる店の条件が揃っている「丸大ホール」。そういうお店はまずつまみ各種がかなり旨い。だから常連がつく。「カレーの具」なんてメニューがあって、カレー好きが何でもカレーが付けれるようなアイテムだ。定食も豊富だし、蕎麦やラーメンも豊富。そんなに種類があったら、味を追求できないなんて野暮な心配はいらないよ。料亭じゃないんだから。そして、たくさんあっても美味しいものを知っているヒトが作っているからどれも美味しいという寸法。例えば、栗原はるみさんが作る料理はなんでも美味しいだろうということ。食べるヒトの舌も大概でしょうし。入店した時は、興味津々でいろんなアンテナを張って、鼻や目を使って限られた注文を見定めることに必死。常連さらしきヒトの卓上がどうなっているのか、好みの食材の料理を見落としていないか、楽しみ勝つ戦場だ。一緒に行く相手もオーバーヒートタイプだと、かなり酔っぱらってしまう、まだ若い飲み方の俺であるけれど、粋に飲み終えて家路につくなんてことは、この類いの大衆居酒屋の住人たちの辞書には未記載だ。俺もその道にちゃんと入道し、行進中。浅草、新宿、横浜、ならいいが、いつか立石駅や赤羽駅、小岩駅に行くまで成長したら、このブログは書けていないだろう。昼から呑んで、体形もブヨブヨ、顔は赤くて疲労困憊。そんなところまで辿り着かずの、未熟な酔っぱらいを目指している。こんなことを書いてられるなんて、気楽なもんだ。なんて日だ。

電車でパソコン

在来線の電車でパソコンをしているヒトがいるけれど、どんだけ〜!と思っていた。そんなに忙しいとは、よほどのワーカーか、大変なヒトだ。よほどのワーカーとは例えば新聞記者しながら、自作の小説を書いているヒトとか、主活動がまずもって忙しく、プラス時間をかき分けてやりたいことがある。そのためにパソコンを開く必要な状況のヒト。そうだとしたら、電車でパソコンはとっても納得する。もう一ゾーンの「大変」なヒトは、その状況に追い込まれているという時点で、、と勝手に人物像を想像する。一見、こういった些細な日常風景の中にも、人生模様も沢山垣間みれるし、捉え方の価値観が吹き荒れたりする。昔、インターネットニュースでイギリスでの男女の出会う場所のNo.1は電車と読んで、かなりの衝撃を受けた記憶がある。情報の出所も不明なので妄想が記憶化されたのかもしれないし(どんな妄想やねん!)、誤報かもしれないけれどイギリスならあるんじゃないかと映画をみていると思ったりする。すごい日常だなと感心する。電車通学だった中学校時代、いつも丸ノ内線茗荷谷駅で降りる、ショートカットの女の子が好きだった。同じ車両にだいたい乗り、俺は二つ先の池袋駅で降りる。制服姿も可愛らしく、あちらもこちらを意識しているように思えた。学ラン姿をお洒落にみせるために、靴下を強烈な紫色でキメたり(すごいダサい)、学ランのボタンの開け方を気にしたりしていた。一度だけ、降りるはずの茗荷谷駅で彼女は降りずに、友だちと池袋駅まで乗り続け、駅のホームで友だちと俺をチラチラみて、もしやと思う場面があった。待ち構えた彼女達と駅で通り過ぎるとき、俺の心臓が高鳴った。これがすべて妄想なのかは分からない。紫色の靴下を履いたり、前髪しかムースをつけていなかったり(高校時代まで後ろ髪を気にしていなかった)、要するに笑われていたのかもしれないし、別のターゲットがいたのかもしれないが、今となっては答えはわからない。わかるのは、今このブログを書く為に、相模原線に乗りながらパソコンを開いているということ。乗客の周りのみなさん!私はよほどのワーカーでも、大変でもありません〜

嫌な言葉と自分の関係性

言われたら一番嫌な言葉を考えてみる。一番、、、「つまらない」はどうだろうか。誰に言われたら心が落ち着かなくなるだろうか。異性、同性、後輩、友だち、ライバル、、どれでもかなりのダメージだ。なぜ「つまらない」と言われると最上級に嫌なのか、自分自身の存在に魅力が全く感じられないと認められるどころか、さらに抉られるイメージだからだ。「おもしろくない」より「つまらない」のほうが嫌だ。他の言葉はないだろうか。「格好わるい」「性格が悪い」この二つは外面と内面の否定だが、自分の人生の結果次第と、相手次第で言われて嬉しい言葉ではないが、全体的なパンチ力にかける。「情けないやつだ」「寂しいやつだ」この二つは、結果や状況を述べられて、他人からそんな言葉を投げかけられるなんて、悲しい。が、「つまらない」にはやや負ける。「興味がない」「どうでもいい」はゼロな感じで、これまた嬉しくないが「つまらない」はよりえぐられていて、マイナスまでいっちゃっているので、響く。「つまらない」の反対語は「おもしろい」でよいのか。「おもしろい」って言われると異性だと恋の始まりかもしれないし、同性だと友情の号砲、後輩なら尊敬の入り口、友だちなら承認、ライバルなら関係性続行中の確認といったところで、どれもこれもエキサイティングな感じ。「つまらない」と言われないようにすることを考えて生きていると「つまらない」ヒトになると思う。いや、こんなことでがんじがらめなヒトは、きっと変わったヒトだから「おもしろい」かもしれない。なんでこんなことをここに書いているのかわからない。終わります。

世を夜に想フ

世で起きていることを思うと、俗世間は中々汚れているなんて思ったりする。漫画「北斗の拳」の世界が一番生きたくない世界だとずっと思っていて、それは暴力で世界が征服されている世界。日本という平和な国でさえも、暴力や殺人で闇に葬られていることも多くあるように思える事件やニュースも多くあるし、潜在化されたレイプも多そうだ。政治家や一部の金持ち共に牛耳られたこともちゃんとある気配を感じる。何をまた一般的なことをと言うヒトもいるでしょうが、用心や疑念を持つのはリスク軽減のための戦術のひとつだ。大事なヒトや自身がこんなことになるなんてと、悪い方でなるのはまっぴら御免だ。俺は大事なヒトが言われも無き被害を受けたら、それ以上の痛い目にあわせてやると、物心付いた時から決めている。だから、死刑も賛成。一人殺したら引き換えに死ぬのは当然。でないと俺みたいな復讐ヒットマン、タクシードライバーことデニーロのような、怒りに溢れた人間がまた次の殺人を起こすぜよ。

今日はこんなことが書きたかったわけではなくて、今日一日を通じてあった、会社のヒトたちのみんながとても目が優しく、心も綺麗に感じ、そういう世界を有り難く大事に思ったということを念頭に書き出した。そんな素晴らしく素敵なヒトたちのほうが大勢いると思っているし、単純に綺麗だけではなく、綺麗にいるための葛藤や努力も知っているつもりだから、そういう世界の住人たちを無惨に私利私欲で殺すヤツを許せないのである。俺は北斗の拳でいうところの、稀にあるいい街の自警団の一人か。でも自警団はすぐに強い奴らに殺されちゃうんだよな。こうなったら、アタタタタタタとケンシロウが助けにくるのを待とう。写真のような夕焼けをみつめながら。

体調と心境の変化に気をつけて

最近は、体調の変化をとても感じている。中年の悩みについてのお話です。元々、寝たろうであり、怠け者ですが、どこか衝動的にガッツを出している自分もいた時があったと思うのだが、パワーダウンが否めないと思う。こういうことも書き記すことで、自分と向き合えたらと思い、さして楽しくもない話題を書くこととする。厄年(じゃないけど、ちかい)、40歳を超えたら、更年期などと噂の類いを無視してきたけれど、そんな仲間に入る気がする。もしくは病気かもしれないが、当てはまりそうなものはないので、万が一であれば万が一である。心技体とはよくいったもので、何も極めていないし、極められない男である自分も、日々、昔より心技体だと思っている。昔はとくに心と身体が離れると態度や姿勢がこじれていた。最近は昔よりはその振れ幅が小さくなったと自己評価を慎重にしているが、身体の状況次第で心が90%は決まっているように思う。そんな折、たいして実働が少なくなっている気がする。当人がそうなんだから事実なんだと思うが、使いすぎた電化製品(充電する機器)のように、徐々に睡眠では充電の効きが悪いように。睡眠に勝る充電はないと思うのだが、そういった実際的なものではないものが必要になってきたと書いていて思う。まずは、己の容器の大きさを常に知ること(要するに暴飲暴食、無理なスケジュールはたてない)、そして次に、その容器を維持したり労ったりすることに積極的であること(運動、休息をもっと意識!)、そして気持ちの良い心境でいることだと思う。心境を常に、全快とはいかないだろうが、日々の幸せを大事に思うことと、これからの為に懸命に「今」を過ごしていると思えることだと理解する。我が家には元気で優しい仲間が3人もいるので、私はHOTもっとでいかなきゃだ。でも体調の変化は恐ろしい。ピンシャンしていた30歳までにはない悩み。今までが恵まれていたことも実感しながら書くブログとなった。

失恋、失望

家人からもらった、森山大道「犬の記憶」を読んだ。骨太の文章だ。写真そのものとコトバが結びついている。コトバもハードボイルドだ。生き方に骨がある。影響を周りから、いっぱい受けている。そして周りに沢山感謝している。それらを記憶している。森山さんは途中まで写真家になろうとしていなかったようだ、意識レベルでは。徐々に本気になっていく。自分への焦燥感や自分探しの繰り返す。20代前半に、東京へ出てきた森山大道さんは、己とは何かを感じとり、猛烈に走り出す。スタートラインをはっきりと超えていく。元々持っていたエネルギーや思想を満足させるがごとく。

家人に買ってもらった、向井秀徳のアーカイブ的インタビュー本を読んだ。向井秀徳はとてもかっこいい。佇まいもコトバのチョイスもギターの弾き方もシャウトの仕方もだ。えらくかっこいいヒトで、ハードボイルドさもあり、切なさもあり、怒りも感じる。センスがいいとも簡単な表現ではいえる。その根底には、失恋という恋自体や恋した相手を失った恐怖から、うまれるエネギーがあった。そこで猛烈に自己研鑽に興じる。動機をフルにガソリンとし、炎上する車は熱く、誰にも止められない。それが一番の武器だ。森山さんと同じだ。その次に感謝も続くだろう。磨かれる技術や周りからの刺激や学びの恩恵も同じく重要だ。でも一番目は動機が強くあることだと理解した。俺の人生を振り返ってみた。失ったことがいくつかある。都合の良い恋話も多い。それは何の足しになっているだろうか。渇望が唯一セカイへのドアを開く。我が子にも伝えたい。失恋や失望はけして不要じゃないよ。むしろ、そこから抜け出したとき、きっと新しい道が待っていると、この二人に基づく書ではわかりやすく教えてくれている。17歳のプレゼントとしてこの二つの本を贈ることにしよう。そのとき彼と彼女はどう思うだろうか。

鍛錬性

いつもここでは、タイトルを定めてから書き出している。何かを思わないとタイトルは出てこないから、その瞬間書きたいことがあるんだろう。今回は自分の『鍛錬性』について考えてみたい。そのコトバの意味も読めば分かるだろうけれど、あまり使われていない『鍛錬性』。『鍛錬性』のある話が好きだ。そのひとつはスポーツだ。とりわけ好きな選手でなくても、おごることなく、酔うことなく、鍛錬している時の話を知るとグッとくる。野球選手の引退話がオフシーズンに近づくこの頃になると、ニュースになる。好きな野球を自分より年下の選手が終えなきゃいけない。野球は大好きだが、楽しかったことはほとんどプロに入ってからほとんどない。ずっと苦しかったと言う。それを支えてくれた恩師や家族や仲間やファンに感謝のコトバを述べる。近くでその『鍛錬性』を見ていた仲間や家族が泣いている。スポーツマンの彼も一目を憚らず泣いている。巨人を引退した相川選手は、一番思ってくれた天国の母に「やりきったよ」と伝えたいと言い、母はどんなコトバをかけてくれると思うかとの記者の問いに、「本当によくやったね」って。オヤジに「やめるわ」って言ったら「よく頑張ったな」って間髪入れずに言ってくれたので踏ん切りがついた。と答えていた。間髪入れずに言ったオヤジさんの気持ちもグッとくる。鍛錬をしているとき、少し自分が強くなった気がする。前進しているような気がする。だらけているとき、自信はなくなるし、元気もなくなる。がんばり屋さんには中々なれないが、「鍛錬性」を有した年寄りになりたい。天国(地獄かも)の扉をたたく時まで、焦燥感を片手には握っていたい。鍛錬していない所に、光はささない。そんなヒトたちが集まった、弱火の焚き火にはあたらないぜ。一人で過ごす時間も大事にして、特急列車でも鈍行列車でもいいから、寝台列車「タンレン星」のっていこう。

無駄

最近は、よく映画を見れているほうだ。その状況有り難し。楽しい。見るまでワクワクしている。見終わったら何を頂いている。最近といえば、アウトレイジ、ダンケルク、ベイビードライバー、三度目の殺人を近々で見れた。本当はパターソン、新感染も見たかった。ブレードランナーは絶対に見たい。どれも良かった。監督で見る映画を決めているし、インスタグラムでいいと思っているヒトのコメントも参考にしている。なのでハズれるはずなし。他にもハズさない理由がある。こういう機会を楽しみにしている大前提がある。そして、膨大に時間があり、消費的な面も有していた頃の見方とは少し経験が違う。否定的よりもいいところをみつけたいパワーがすごくあるのだ。一方、経験と時間がないことで、マイナス面もある。無駄がないのだ。無駄がないということは予定通りである可能性が高い。先にあげて4作品で一番良かったのは、監督で選ばず、ヒトの噂で見に行くという賭けにでた、ベイビードライバーだった。想像が出来なかったので、そしていい作品だったので、❗する2時間だった。どんなものを食べたらこんな作品が作れるんだろうかと、映画館を出た時に、小学生みたいなコメントを独り言のように呟いていたぐらいだった。この作品を映画館で見れたことはとっても幸せな体験だったと言える、イッテル作品だった。こんな構成で、感性で、ユニークさのあると自分にとって思え、その独自性を世の中にちゃんと届けているものをイッテルと名付ける。今日、スチャダラパーとPUMA、BEAMSで作った靴を買った。こういう瞬間的なものもインターネット情報でゲットした。BEAMSjapanも素敵な店になっていて驚いた。その出会いには大変満足している。そして、無駄が恋しくなっている。

子どもたちと過ごす今日この頃

毎日、自分以外のヒトと同じ屋根の下で暮らすことに慣れたのは、すごく最近なような気がする。40歳になる私は、恋人と同棲したり、中学校の同級生とシェアルームをしたり、生まれ育った家族と21年間暮らしたり、家人と二人暮らしだったりと長い年月をかけて、ここまでやってきた。元来、気性の激しい性格で、起きた朝のテンションで一日が決まっていた自分に巻き込まれた、その時々のそばに居たヒトたちはとんだ苦労を重ねさせてしまったと思う。そのことは一言で言うと「情けない男だった」というコトバにつきる。自分に還ってくる所業を超えて魅力的なヒトもたまにはいるとは思うが、自分自身は嫌われることで、寂しさをまとってきたが、ラッキーな部分が今のところはあったと感じている。そのラッキーに気付いた時に、懺悔の気持ちとこのままじゃいけないと思ったことが何回も30代は発生した。その気持ちが今も時に薄れていることもあるだろうが、自分以外のヒトと普通に暮らせるようになった事実は、自分の変化と捉えていいのではと思える。自己中心である部分が他の人よりも強いのも事実だったので、生活という最も自己プロデュースが発揮される場面では、煩わしさや手間に我慢が出来なかった。逆の立場だったら、一日で御免だ。そんなヤツは殺しているかもしれない。一緒に暮らす子どもたちは、他人を思いやるようなことが少し苦手な季節で、泣いたり踊ったりと大忙し。眠たくても寝れなかったり、疲れていても優しく、自分がしたいことをしないで小休止・・・こういったことの繰り返しなのである。子育てという責任感もあるんだろうが、そうしたくなる存在に出会えたことを素直に幸せなことだと思っている。そして、この気持ちにさせてくれているのは、なにより家人の優しいおおらかさだということは間違いない。芸人長井のような締めくくり。

なにわでは

大阪に住んでいた頃を、細かに思い出せない。たった3年半前のことだ。生まれ育った千葉、一人暮らしを主に行った東京、最初の就職先の福岡市の藤崎駅、そして大阪梅田である。現在は神奈川県茅ヶ崎市。計8回の引っ越しだと記録、記憶している。県でいえば5県か。このグローバルな世の中、積極的に外国暮らしを選択しているヒトも大勢いる。家人もフランスに6年も住んでいた。一方生まれながらの場所にずっと住み続けるヒトも沢山いるようだ。外国等に果敢に住んでいるヒトはすごいと思い、同じところに住んでいるヒトは保守的だったり、経験値が少ないイメージを持っている俺がいる。そして、その中間の俺は、その基準を上下として捉えている面もある。だけども、本当はそうではない。外国かぶれで、性格や言動がややこしいヒトも多い。あたかも色んなことを知っているような態度でいて鼻につく。同じ場所に住んで郷土を大事にして、根っこがしっかりとした人格者や周りを大切にすることを知っているヒトもいる。どちらも表裏でいいところが、悪いところに変身できる。俺は終の住処はどこに、そこまではどこにいくのだろうか。いけるのだろうか。旅だから映える場所もあるだろうし、人生自体が本来、旅だとすれば、住処はマークのひとつしかすぎない。そこでどんな様子や姿勢でいるかで結果はすべて変わってくる。大阪時代の俺は、色々と迷った時代でもあった。東京や仲間とすぐそばで暮らすことと、いるけれどその最良な状況を活かしているかはまた別ということで客観的にもなり、そのことで反省や反芻を繰り返していた。大阪で出会ったヒトはほとんど会社の同僚だが、その会社の同僚(主に後輩)が素敵なヒトたちばかりで、熱く精一杯生きていて、とても刺激的だ。大阪にいくと、必ず彼らに会い、俺は赤レンジャーに戻るのであった。

富士屋ホテルをごっくん

旅の最中、長女ひかりは、「待つ」というのをはっきりとできるようになった。「待つ」に限らず、沢山の出来るを発見するのが家族であり、親子であるから物珍しいことではないのだが、家人と一緒にその成長を感じられたので記しておこう。旅も同じく、ささやかなことの繰り返しで、当人達の気持ちがどう揺さぶられたかで、記憶や記録の残り方が違う。富士屋ホテルに到着した時は小雨が降り終わった後の、深い曇り空だった。晴天であったらもっと、テンションがMAXまであがっていたと思う。建物が美しすぎるのだ。晴天だともっと映えたのではと思う。次にドア、入り口が重厚でエレガントだった。別の世界の入り口だった。エントランスが二階にあり、そこは薄暗く、家具はまたもや重厚で可愛らしく、どれもかっこ良かった。右左上下を何周も見回した。目に見える物が、全部自分の好みのテイストだ。自分の好みとは、はっきりと個性があり、でも開けたもの。開けたものとはものによってはPOPともいうし、視界や感覚が閉ざされることなく、大きくと誰かと繋がろうとしている。排他的ではないということ。それが色濃いものにだいたい惚れる。富士屋ホテル内のデザインされたものは、その状態でありつつ、来るモノを別の次元へ誘う。それがタイムスリップした歴史であったり、これまで培われ来た伝統であったり、守られるべき格式であったり。その門を潜ったのであれば、そこから目を背けて適当なことは出来ない。というか選択したくない。そういうパワーを持っているのだ。文字帯からデザインされ、窓から見える景観、プライベートな空間(部屋)、照明、ひと時、サービスをしてくれるヒトの佇まい、、どれも忘れたくない目とココロの財産となった。お子と二人だけで泳いだ室内プールは。さながら自分たちが何者であるかを忘れさせてくれた。

富士屋ホテルへふみこむ

我が家の夏の旅行シリーズは、八丈島、種子島&熊本と鹿児島と、島・海シリーズとなり家族での楽しい時間を過ごしてきた。今年は生まれたての歩がいるので、旅行はナシと思っていたが、一年に一度くらい非日常を味あわないと、オトナの僕らは日常が少し味気なくなると思い、生活メリハリの意味も込めて、ミニトリップを選択した。近場で、未体験で、、なんて考えると楽しみな反面、考えるのが少し面倒くさくなってしまい、行き場所選びを家人に押し付けつつ、出されたアイデアに対して、そこはちょっとなんて批評だけしている自分もいた。二人の会話の糸口に、日本地図からひとつの場所を選択するには、選択肢が多すぎて、逆に決め手が少なくて、決定力にかけていた。信州(こんなときだけ長野などといわず)、金沢、益子焼あたりが最初有力だった。それぞれに特徴があり、魅力もあるのだが、予備知識も殆どないので、「ここだ!」という気分にならない。そんなに行く機会もないのに、もし・・たいした場所じゃなかったらどうしようという疑念が少しあったりもした。その点、八丈島や種子島は海が目的だったので、疑念はなく、まだ見ぬ島はどんなことになっているんだろうと、最初からワクワクしていた。一方、夫婦の会話でいいホテルに泊まりたい話はよくされていた。子ども達にも、なるべくモノよりコトをプレゼントしたいと考えており、それは舞台だったり音楽だったり、本当に美味しい物だったりをイメージしている。今年はフェスに行くことも検討したが、フェスは子どもや子ども連れにはチト厳しいシチュエーションで、入場すら出来ないフェスもある。引き算が少しずつ得意になった私は、もう無理して何かしたりしない。そのこと自体は寂しくももちろんあるのだが、正解の場面が多い。少しの我慢や遠慮が後でプラスに働いたりするのだ。そういう経過やこれまでがあって、答えに辿り着き、選択した場所が箱根にある富士屋ホテルだった。クラシカルホテルの水準、恐るべし。興奮と感動し、平伏した。上質さは、普段外なのはもちろん興奮要素だったが、何より格式、歴史、伝統のデカさフカさ。食も建物も働くヒトもサービスそのものが、来訪者へ魅せるデザインそのモノだった。また行きたい。行きたい!

夏が終わって、秋風がふいている。僕は風邪をひいているかもしれない。

大好きな夏が終わってしまった。海には10回ぐらい入ったのかもしれない。そうだとすれば一夏の最高記録だ。最高記録ってやつをまだまだ出せるぞ俺。お店屋さんという飲食の提供の初体験もPIKA!社ハウスで経験した。友の紹介で、初体験の仕事にもチャレンジ中だ。よく寝ている俺だが、俺にしては活動している夏だったといえる。念願の海の側に住んだ暁だ。大事な友だちや新しい友だちとも交流できたことも、いい夏だった。バーベキューも楽しかったし、いい植物たちが我が家に来たり、家族写真は4人となった。そんな夏だが、失ったモノも、あまり出来なかったこともあった。読書や映画はほとんど見れなかったし、ギターもロクに弾いていない。このヒトととのお付き合いはちょっと・・と思ったヒトもいた。いいこととそうじゃないこととのバランスの傾きはシーズンによって区々だが、圧勝ということはないし、トータルでいいことが多いと感じれれば幸せだと思うに至っている。昔から、恵まれていることも多くあったと思うけれど、全部がいいなんてことはありえないと、とても疑い深い考えであった。それは人生経験が少ない時からそうだった。いいことばかりだと天国ではなく地獄にいくのではと思い、小学生の中学年時代は、お祈りしてから寝ていた。お祈り内容は、野球に硬球に、「天国で家族で住めますように」なんてことを書いて神棚みたいに飾り祭っていた。そのボールはいまだに実家に置いてある。その願いの一つであった家族とは、その時の家族ではなく、今の家族に変わっている。生家の家族とはもう仲良くないからね。

昨日のTV番組72時間は、甲子園を応援する北九州の地区の話で、号泣だったな。甲子園という大会もこれからも残っていってほしい。選手が主役であるけれど、出れなかった選手や裏方、監督、応援する家族や地域、同級生、卒業生、未来の甲子園児、懸命な彼らを応援している関係のないすべての人々も、選手に自分を投影してみている。それぞれが人生の主役だ。

幾年後かの夏、このブログを見返した時には、どんな夏が過ぎていったのだろうか。

即興

   このブログではふと想っていることや、ココロにしまっていることを記録していきたいと考えている。自身は誰のブログも読んでいないので、逆に誰にも読まれていないと思っているが、家人が読んでくれているのと、疎遠になっていたヒトにこのブログを通じて、オンライン上再会出来たことに感動したので、一人書きではあるけれど、日記とは違い「誰か」が読んでいるかもしれないという緊張感が少しあったりする。再三ここで述べているが、書きたいことがあって書いているわけではなく、書き出しながらここまで書いているので、この点でも自身のタイプが分かる。絵も音楽と同じアプローチだからだ。これを即興という括りにしているが、即興とはなんだろうか。見切り発車なのだが、見切らず発車することの時間の差があるが、結局は自身の蓄積した物を捻出するので変わらない気がする。即興は年密さがないので失敗が多いのも特徴ではないだろうか。表現するうえの、ダイナミズムや自身の範疇を上回るもの(ミラクルさというべきもの)を生み出す装置としては相性の問題もあるだろうが、秀逸な手法な気がしている。設計図を書いてそれを遂行する。その設計図を何度も実験し、書き直していく。そんな自身と対極のヒトに畏怖の念を常々感じているし、自身の拙さに情けなくなったりもしている。能力でいうと名前が付かない、もしくは抽象的な尺度の能力がもし自身にはいくつかあるとして、それを絶対評価で保持していたら、もっと街を悠然と闊歩しているだろう。○○力なるものが適正化されているようで、多様化している現代には種類が不足している気がしているので、自身にも自身以外にも発見して、少しでも生きやすくしていきたい。みんな自信なんてないもんね。俺の友だちには、ものをラッピングするセンスの高い親友がいて、ラッピング力が高い!という発見が最近あった。俺はそのとき何力が高いことになったんだっけな・・。忘却力は確かに高い。でもそれはあまり嬉しくない。アホみたいだもん。悲しいことや自分に都合が悪いことは忘れられる力がある利点もあるが、学びが足りなそうでやっぱりアホみたいだ。

野ばらをさ

地域のコミュニティセンターでコレを書いているのだけど、周りのだいたいは高校生で勉強している。イヤホンをつけて黙々と。私、40歳はブログを書いている。大丈夫じゃないよねと思ったりしながら、この長い記録という作業の結末をあまり意識しないで、鈍行列車進行中である。あのとき骨折をしなければ、このブログも書いていないし、インスタグラムもやっていない、茅ヶ崎にも引っ越してきていなかったと思える。ハプニング、タイミング、フィーリングという恋の始まりの3種の種は、恋に限らず営み全般にいえるようだ。このPIKA!社も次のステージに移行させたいと思う。どんな企みが、野望が、生業がまっているかわからないが、ひとつの大事な場所として、もっとやろうということを記しておこう。昨日の夜、藤井洋平をひょんなことでみつけ、YouTubeを再生した。家人とともに笑えた。彼とはしばらく会っていないがスタイルを変えずに、ちゃんと認められているんだなと確認した。岡村ちゃんと対バンしてて嬉しかった。日本のセンシティブソールシンガーですから。アブノーマルな。彼も含めて数人、20代に知り合った、もしくは同じ場所にいたヒトが、スポットライトを浴びているのをみると、とても嬉しい。そして自分のことを考え、少し寂しい。やはりと確信をもつ。そして大柴やよっちゃん、早川パワーのことも想う。みんな才能が溢れている。そして継続している。闘っている。やめちゃいけないこと、自己プロデュース力も少なからず必要なこと、周りの人を大事にすることは3大必須条件だと思う。お子や後輩などの芸術を歩む、若者のすべてに伝えていきたい。それがお節介と勘違いが少しあっても。俺も80代からみたら若造なので、まだまだやるぞ!

40歳になっちゃって

今日は40回目の誕生日。誕生日や正月には少しかまえる僕、俺、自分、私なのですが、今日は優しい職場のヒトたちが何故か、その報連相がしっかりとされていて、これまでにない量の「おめでとう」のコトバを頂いた。「ありがとうございます」と照れくさくなりながら応えた。ココロ優しき律儀な友だちも幾人からかそんなやりとりをして、自分の40歳になる悩みを吐き出させてもらい、頂いたコトバを吸い取った。こういう「呼吸」的なやり取りが、最近かけているんだと妙に納得してみたりもした。また、家人は朝一番に、本を4册差し出し、どれを読む?と聞いてきた。家人なりにこんな俺をいつも心配してくれている。並べられた本はどれも魅力的な作家、装丁。さすが俺を宇宙一知っている。今の悩みはパターン化された自分の脳、活動、感受性を超えていきたいということ。言うのは簡単だが、実現成功率はほとんど低い。「やればできる」というコトバも大好きなのだが、自分のそういった経験がどんどん遠くに言っている気がしている。また、変わりたければ、住処か一緒に居る相手を変えるのが一番手っ取り早いと聞いたことがある。どちらでもないんだなと思っている今、手っ取り早いがほしいのではなく、ゆっくりでもいいから手応えをもてるようなプロセスがほしいだけなのだ。なぜなぜと自分に問い続けたならば、素晴らしい音楽を聞いたときの感覚が一番好きという答えがいつも浮かぶ。それだけはよく知っている。そのことを大事にしたい。その時間がもっとあれば捉え方も違うのか分からないが、どんな仕事でも日々でも、生きていると感じる時は音楽がココロに流れている。そういう状況は、何もしない中では作られない。夢中になっている状態で暮らすことが何より幸せ。夢中になるには懸命にやるしかない。そんな日々では、疲れた帰り道もココロに音楽が流れているだろう。音楽がしたいという単純な結論ではなく、音楽を聞き、歌い、作りながら、生活の為の色々をしっかりとやっていきたい。早く仕事を決めて、夢中にやってみよう。そんな仕事があるのか、きっとある。勇気とやる気と元気という三種の神器を、胸にいれてさぁ40代の扉をくぐり出発。家人と手を繋いで。

ノスタルジーなメランコリックで乾杯

ここに何かを書き記すのが好きだ。毎度これを書こう!となんて書き出したりしていない。何かを思い出し、書き始める。そこからは思いつくままに書く。音楽での自分のやりやすいスタンスと近い。出来上がったものに驚く、いい意味でもそうでなくても。最初から設計することは苦手です。旅も人生も。その性で、こんな状況です、きっと。アタマに描く完成図にむかって進むことは、もう完成図がアタマの中に出来た時点ですでに完成しているんではと思い、すでにそのあとは作業ではという考えに行き着く。永遠の未完成とは聞こえがいいが、作業量や質に裏打ちされた奥深さが、出来上がりにはないので、味わいが長持ちしないのではと思ったりもする。例えば名曲はどこをきっても素晴らしいエッセンスが詰まっており、その甘美さがヒトを永続的に欲求させるパワーを宿すのではと考える。そのような深さがないとしたら・・・。そして日本語は難しいし、面白い。コトバの面白さに気付いた我が友人で小説家の友もいる。例えば、考える、思う、想うだけでも使い方を迷う、そして意図して使う。どれがいいかの判断は、音符もコトバもとても難しい選択の連続だけど、文章を書く時も、音楽を作ろうとする時もそんなことをいちいち考えていないときの結果も好きだ。なので適度に設計図を描ける人生がよかったな。いや多分、とても短期的には描いているんだろうから、ひとまず50歳の自分を描いてみよう。

んんんー描けないぜ、、ロックンロールベイベー。内田裕也、あんたは描いてそのアタマかい?それとも思いつくまま?それとも神のお告げ的な??いや樹木希林の依頼かも。全部わからない。乾杯します。乾杯!

39歳、海へ

TUBEの「STOP IN THE SUMMER」が、サザンオールスターズの「真夏の果実」が、井上陽水の「少年時代」が、スピッツの「青い車」が、MIKEの「想い出の九十九里浜」が、プリンセスプリンセスの「世界で一番暑い夏」が、、、CARラジオから聞こえてきた。甲子園の歓声や熱気が、虫の声、風鈴の音色、カキ氷を研ぐオト、素麺をすするリズム音たちが耳に随時届く。扇風機の回転速度上昇、クーラーの持つ安心感、麦酒の欲求度MAX、夏祭りの郷愁、キャンプへの羨望、、、夏の極めつけは海です。海はしょっぱいし、人ごみ多くて実は不便だし、焼けるし、帰りはなんだか足取り重いし、学校ないし、花瓶もないし、、と思うけれど、全身で戯れる雄大なあそびだと思うのです。波は強い。海底はみえない(場合が多い)。よくみていると海は黒くて怖い。海にいるといつもサメが気になるのは俺だけか。海に浸かって大きなお風呂。海に潜って急に静かになる外界の音。カラダが解放されるような感覚に陥る。普段、五感よりも占いを信じてしまう現代っこの我ら。本当は、自然の子だった本能がどこかに隠されていると思うのが海など水中に入った時だ。「水中、それは苦しい」というバンドもいるが水中、それは本当に苦しい。海にいるヒトたちの表情はみんな嬉しそうだ。自身もきっと険しい都会にいるときの顔をしていない。もっと素の顔をしているちがいない。どんな「顔」なのか。これからも一層気にしていきたい。「顔」が物語る。そしていつか「背中」や「手」が物語る。そういうことが年を重ね、人と会うと分かってきた気がする。いい「顔」しているヒトはいいんだな、やっぱり。。

39歳で海へと、目標に掲げたきた37歳の頃がありました。今、ちゃんと海のそばに住み、海へよく行き、自分と向かい合って、これまでとこれからを想っているよ。

CDを売る

 

今、新宿にいる。これまで集めてきたCDの一部を67枚売る(買い取り待ち中)。300枚ぐらいをこれまでディスクユニオンに売ってきた。合計6、7万ぐらいの収入だ。引っ越しをすでに8回ほどしていて、引っ越す度に、CDや漫画、本は捨てられずいたのだが、遂にここ数年で手放すことにした。これまで売らなかったのは、持っているそういう類いは自分自身のような気がしていたのと、いつか誰かに全部あげたいと思っていた。一番は子どもにあげたいと思っていた。押し付けがましいのは百も承知。あげて捨てる権利もちゃんとあるから大丈夫。実家にそういった類いのものが全然ないのがとっても不満だった。他人から「親のビートルズ好きな影響で~」なんて聞くとイラっとしたもんだ。親父は阿波踊りの国の徳島県鳴門市出身で、阿波の踊りも小唄も心得ており、唄もまあまあうまい。が、おそらく母親がそういったものはいらないものと家に置かなかったんだと思う。それはないぜ~お母さんと今も思う。そういう余計なものがないとセカイはつまらないんだぜと耳元で言ってやりたい(遠いと聞いてくれなさそうだから)。売る前に、パソコンに落としたりしないで、一度流してアタマやココロに残すことにしている。アタマにダビングしているのだ。残念に思うくらいなら売らなくてもいいとも思うのだが、そもそもあまり聞かない時点で、もうお役目御免だし、元々好きだから持っているのである。なぜ売るのかといえば、少し身辺整理をしたい気持ち、リフレッシュですね、とレコードや草木など欲しいものに転換したいということで、はした金だが売っている。もったいないかもしれないがそれもまた、無駄が多くて自分らしいのでそういう納得方法で過ごしている。そしてまた数年後、聞きたくなる。懐かしいメロディや雰囲気はたまらない。俺はメランコリック星からきた、日本人です。

生活と暮らし

 

美味しいというコトバは、よい意味、響きだなとつくづく思う。口に運ばれる幸福はたまらない。それを分かち合うのはさらに格別だと長らく捉えてきた。また、家で過ごすというコト自体が、置かれている状況によりけりだけれど、幸福な時間でありたい。最後は病室ではなく、自宅でと言いたくなる気持ちはよくよくわかる。『家』という文字や響きに詰まったエトセトラには、その人の時間が物語られる。孤独や愛情、試練、暇、夢、、安住の地に家がなることは1つ目標だ。「生活」と「暮らし」というコトバがある。辞典で調べると、違いが殆どない。でも違いを感じて自分はコトバを使っている。音としての響き、経験からくる区別がそうさせている。暮らしというコトバは、生々しさが少し足りない気がしている。生々しさが重要なのだ。生活は生だから。上辺じゃ、語れない。門構えでは知り得ない状態、綺麗なカーテンの中にある攻防、Instagramにあがる家庭料理の光と闇、家路を歩くそれぞれ視界の先、、

 

暮らしの手帳に始まり、暮らしはイコールLIFEに変換され、簡単な使われ方をしていて、次第にダサくなっていると思う。主婦の暮らしだと明るい感じがするが、主婦の生活というとネギをスーパーの袋にいれているようなイメージがある。今、生活というコトバを気に入っていて、「生活」がぴったりだと思って生活しているし、暮らしではなく生活になっていきたい願望が強くある。そこまでなぜ拘っているのか分からないけれど、大柴陽介のことを文章にするときに、そのことを向き合ってみれた。生々しい凸凹さに愛おしさがあり、そこを追求していくことが、自然に培われていくことが、自分が今後していきたい全てなような大袈裟な気持ちをもっている。彼の創った曲をもっと聞いてほしい。分かるに人にはきっと分かるから。

はろーマイフレンド

ウィーン少年合唱団の公演を見に行った。友だちに誘われて。その友だちは、どうやら鍛錬を続けた活動を、「今」かなりのリスペクトしているようで、こういった伝統あるもの、特に古典芸能を数多く見に行っているようだ。「よい」評価が前提のような会場の雰囲気やその友だち。そしてここまでで伝わると思いますが、この反応の俺という構図だった。いつもとは少し違い、綺麗なシャツなんてものを着ていった。友だちは、その様子に嬉しそうで、冗談交えて、「高円寺で売ってそうなものより、やっぱりこういったTPOにあわせたお召し物でしょ」というような感じのことを出会い頭に言っていた。彼女にふられたので余ったチケットに便乗した俺に。会場は川崎ミューザだったのだが、会場は気に入った。でもこういう場所での「空気」がどうやら肌にあいづらい。オルタナティブあがりのパンクマンだから、まっすぐよいと思えない笑 むしろ、なんで同じパターンでもったいないとか、お客さんが拍手ありき?に思えたり、本当にいいと思っているんだとしたらどこの部分だろうなんて、だいぶ曲がった感性で90分の時を過ごした。そしてこの感性でいいと今日も思った、ナイス頑固GUYS俺。嫌いなものは嫌いなんじゃボケ、空気にのまれてたまるか、俺は流され死人じゃねえぜ。と変わらない感性とnice to meet you。一方、学生ロボットコンクールにも仕事で行った。こちらはとてもココロ揺さぶられました。工業系の甲子園は、熱量めちゃたかく、有能丸出し、格好わるいけどカッコイイやつらいっぱいいた。特に3人構成のメンバー紹介のポージングが秀逸で、仮面ライダー的なポージングや敬礼系など20チームともに似通っていたが、とってもいいと思った。俺だったらどんなポージングをするかなんて考えて見たりしていた。例えば、一人は後方に下がって後ろ姿、ひとりは相撲の不知火型、もう一人は顔を隠すなど「謎」に思える組み合わせがいいと思った。対戦相手もびびるだろう。絵が伝わるかな笑 でも俺はこういうことを考えているのさ。

やりかけのライダー

最近、いいラー油が作れました。三宿にある「新記」という中華飯店で、改めて中華の素晴らしさで先日、目覚まし。点心や青菜板炒め、イカしたザーサイ、とっても美味しい炒飯、肉汁あふれちゃMAX餃子、シメのごま団子。。色んな人に食べさせたい。近所の「横濱屋」も、前の家のそばの松陰神社「松浪」も。前の前の前の家のそばにあった神楽坂「梅香」、板尾創路オススメの薬師寺前「丸長」、そしていつか行きたい藤沢にある「ら塾」もすべてめちゃくちゃ旨い(だろうも)。俺はラーメン屋さん巡りなんてしていなくて、見つけたお店を永らくご愛顧する。舌臆病だと自覚しているし、舌保守的というほうがピッタリか、あの店に「いっちょ行ってみるか」とはならない。確実に味わえるあの味を掴みにいく派なのだ。初めてのラーメン屋さんに入ったとする。冒険はしない。というか出来ない。醤油か豚骨か味噌かは分からないけど、その店のメインしか頼めない。炒飯や焼きそばだって大好きだが、ラーメンを食べなかったことを後悔しそうで頼めない。そんなわけで一人じゃない、中華飯店は最高だ。色々つまみ食いできる。つまみ食いを通り越して、みんなより少しでも多く食べようとしているからご用心。寿司も焼き肉も洋食もきっとほとんど食べきれないんだろうなと思うと結構寂しい。いつからか「食べること」が暮らしの真ん中にいる。楽しみでしょうがない。少しずつデブになってきたので、美味しいものを食べる為に、ほぼ毎日走っている。昔の俺は、マッチ棒と言われたり、病的と言われたり、難民と言われるほどのガリガリ君だったのだ。鎖骨の凹みがすごくて、そこで金魚がかえるのではと友だちに揶揄われたりしたものだ。海にもいけなかった。裸体に自信がないのだ。漢である生き物が裸に自信がないのは致命的でしょ?どうやって自信をもつのだ。でも、ロックンローラーやパンカーはガリガリ。イギーポップも甲本ヒロトもマーシーもデビッドボウイをみろ。カッコいいな自制して闘っている漢たちは。俺はどっちにいくつもりだ。俺はまだ抵抗しているよ。少しの膨らみは喜んでいるけれど。

 

 

草木花とわたし

草木花とわたしは、そんなに仲良しではなかった。ある時期、紅葉のことを嫌っていた、退屈だと。花見はしていたが、桜は飾りであった。建物の隙間に咲く草花をたまに見つけることは出来たが、ココロは動かなかった。盆栽は出来すぎていたし、雑草はなんだか怖かった。静岡県で800年杉を見たとき、ドキドキしたこともあった。最近もまだ仲良しではない。良さに気付きだしているところで、そのきっかけは八丈島や種子島へ行ったからかもしれないし、家人からの影響かもしれない。大きなきっかけはなくても、自分の真ん中に近づいてくるものがある。それこそは必要としている本物の関係性のような気がしている。没頭という名の集中ではなく、緩やかに近づき、気付いたら大事に思うようなもの。そういうことが今までも確かにあったと思う。その距離感だからこそ消えていったものもあっただろうし、ほとんどがそういう関係性で作られた「好き」だったように思える。稲妻を直撃したサンダーロード的な出会いもとても魅力的だが、そのようにいつの間にか大事にしていたものに気付くと、なんだかホッとする。日々、何かを吸収しながら変化している自分がいることに気付くからだ。「花鳥風月」というタイトルのスピッツのアルバムが好きだ。草木花は主張が激しくなくそこにいて、微妙な変化を共に過ごす。まだまだミーハーな自分は、少し変わった草木を好む。花を家人が好む。その草木花が我が家を彩る。暮らしと生活というコトバの違い(フィーリングですが)も最近気になっている。生々しい生活の中に、草木花や芸術が、仰々しくなく闊歩している。そんな暮らしを俺は好んでいる。こんなことをコトバにするのは初めてだ!

 

歩み寄る

6月が始まる。何もかもが6月になる。2017年はもう6ヶ月目だ。今年最初にたてていた目標は何だったか。立てないようにしていたと記憶しているが、ココロの中には目標らしきものはあった気がする。二人目の歩くんが生まれてくれることになっていた、寒い年始。どんな顔かもちろん分からず、お姉ちゃん・ひかりの様子も想像の域を出ない。4人での暮らしの指標はなく、ただ騒がしく忙しく、豊かになると思っていた。ビッグトピックスは生命の誕生だ。それによる自分たちの変化。友だちを大切にしようとも思っていた。友だちのことを見ていこうと思っていた。自分たちのまわりにいる、「セカイ」を大事にするべしとココロに誓っていた。そんな生活では、音楽を沢山聞こうと思っていた。茅ヶ崎の地産地消、景色、店、街、人、海、、味わおうと話していた。仕事を変えたいと考えていた。夏にサーフィンとお店をやってみたいと無邪気に夢見ていた。嫌なことも辛いこともあるかもしれないと小さな覚悟もしていた。十八番のイザコザもあるに違いとあきらめていた。恥ずかしいことや思わぬこともあるだろうと予見していた。バンドをもっとやりたいと言っていた。その5ヶ月前の俺は今、ココロに掲げた目標がいくつ現実となったのか知っている。「思う」ところから始まる。思わぬこともやってくるが、それは偶然と定め。自分が「思う」ことを自分なりに歩み寄ることで、手にしていく。失敗しながら軌道も変わっていく。誰かに評価してほしいわけではく、自分で幸せになりたいと漕いで行く。幸せになりたいことをもう隠さないでいいし、幸せになるために生まれてきたと言いたい。そしてそう言ってあげたい。空腹の後の美味しい食も、孤独で寂しい日々に出会った恋も、苦楽を乗り越えて一緒に感じ合う愛もみんな幸せな一瞬だ。そんな瞬間を大切に、歩み寄る実直さがエンジンとなって、未知の道を変えていく。ちゃんとみんな最後は死ぬ。いつかはわからないその時まで幸せを沢山感じれるよう、残り7ヶ月も歩み寄ろうと思う。

 

気楽な友

今日は我が家の海開き。11月に引っ越してきて、夏を目指して過ごしてきた。冬の海も春の海も表情が違ってそれぞれの良さを、そばにいると気付く。海のそばは空も綺麗だったりする。夏はまだ断片的なことしかわからない。風の強さや人の量、海の家の雰囲気なんかも気になる。すべて予定通りなんかにはならないものだし、それじゃつまらないのだが、想定したがる癖が自分にはある。今日は海に荷物(シートや椅子)を持って、家族で海に行った。外国人なんかはもう、海で泳いでいるし、ギャルも出陣してナンパも繰り広げられている。娘、ひかりもそんな夏の空気を感じてか、海に入ってもいいはずだ!と時間が経つにつれてダイナミックな海の入り方を繰り広げていた。かなりの興奮で、奇声を発しまくっていた。家人が自転車乗りながら、海のそばに引っ越してきたんだなって改めて思ったとのことも言っていて、いつの間にやらここにいた人生だな〜と波の引き潮をみながら、そう思った。

最近は、友だちと会って話す機会が貴重に思え、色々なことを感じることができている気がする。そんな中、自分の過去を思い出したりしている。性格が難ありだったなとか、客観性ない言動だったなとかを思う。今もその傾向は変わりなくあるのだが、少なくとも比率は下がってきたように思う(というか信じている)。変わったことと言ったら、このことに気付いている点だけだが、全く論理的思考を私生活に持ち込まないようになっていた。仕事のほうがそれが持ち込みやすくて、得意だと思っていた節はある。本気じゃないから仕事は楽だと思っていた。時間の経過とともに、仕事も客観性の次ステップの、「だったらどうする」に直面しつつあり、そこが溜息の源泉だったりする。一方、友だちにも、表層気軽で柔和な人と、表層から気難しくて神経使う人がいる。最終的なコアな部分は分からないから、表層にどれくらいの意味があるのかはわからないが、俺は出来るだけ表層から気軽な人になりたいと、40歳目前にしていて思う。そういう友だちと会うと、幸せな気持ちになって、お酒が楽しく飲めているからだ。俺は気難しい星から来た、気難し部族にかつて所属していたのだった。

大柴陽介と父、子、しょっぺ

大柴陽介のお父さんが火曜日にこの世を旅立ったと、しょっぺ(大柴陽介の妻)から報が届いた。大柴は36歳のときに旅立ち、2年半ぐらい経つ。人の死は、普段の行いの善し悪しで来るものではない(死刑だけだ)。不幸ということもない。ただただ寂しく、悲しいだけだ。もう実体的には会えない。触れることは出来ないし、話すことも難しい。そのことを身近な家族、子ども、母親、妻はどう思うのだろうか。大柴の母、弟、3人の子どもたち、しょっぺ。俺にも、母、妹、2人の子どもたち、妻がいる。短い期間の中で、身近でかげがないのないものと、現世でお別れするのは、信じられない現実だろう。過去もみるだろう。今をどう捉えていいか難しいだろう。未来はみないといけないだろう、未来が不安や寂しさで苦しめるだろう。みんなに、みーんなにその時はやってくる。時は来たとやってくる。いつでも突然だ。いつ死ぬかなんて知りたくもない。知ってどうする。知ったからどうなる。知らないからやってられる。身近な人の死は、身近な人自身を頼もしく、強くさせるのか?そうも言い切れないと思う。そうであってほしいがそうでない状態がうかぶ。愛しあって生きてきた夫婦は、後を追うように旅立つことは良くある話のひとつだ。鬱になったり、元気やる気を取り戻すのに苦労している人は沢山いる。むしろ多いだろう。親友が自殺した時、俺はそうさせた社会に怒り、疑念を強くもった。信じられなくって、もうちゃんと笑えないかもと、長き闇があった。その時に作れた曲もあった。『闇の谷のナウシカ』という曲で、闇からリターンしてくる時に生まれた曲だ。

しょっぺとは、今、大柴陽介のソロ作制作でやりとりをしている。彼女は、変化を感じさせていない。メールの文章も頻度も内容も、普通だ。

街には何も変わらない風景がある。その中には、色んな日々が隠されている。他人事だとしても自分たちも当事者だ。未来にはやってくる順番待ちなのだから。そのことを無視することは出来ない。痛みの量は違えど、無関心だったとしたら、それは表現者として致命的だし、人間として一番大事な、優しさや愛が少ない人間という、通信簿を持ちながら生きていることになる。俺は今、とても悲しい。頂いた役割を果したいと思う。

ミッシェルゴンドリー

家で子どもとミッチェルゴンドリーのミュージックPVをみる。メリーに首ったけならぬ、口をあんぐり開けて、ストレンジでPOPな作品たちを眺める。ダフトパンクやケミカルブラザーズが流れた時は、2歳8ヶ月の子どもは、かなり集中して見ていて、その背中越しにオトナになった俺も、どのようなイメージを持ったらこんな表現がカタチになるんだろうと感心と関心でココロは胸いっぱいに。ダンサーになりたいと、なぜ10代の頃に思わなかったんだろうと真剣な後悔を今年に入ってから、合計5分くらいは思った。なぜダンサーがいいのかというと、まずは音楽や音を身体を使って表現すること自体、めちゃくちゃカッコイイことと思うからだ。音楽も思想とフィジカルがどちらも使って瞬間的に表現されるから、面白いし気持ちいいと思っている。ツラさ、緊張などはあってしかるべきだろうが、ライヴでみせる表情は皆々楽しそうだ。作る以外にそういう場面があること自体、音楽のいいところ。アタマとココロとともに、身体をハードにでダンスがうまれる。また、現代でもダンスは、原始的な活動でありながらストリート的で、今も昔も最先端な男女が選ぶものだと思う。大衆、部族、盆踊り、コンテンポラリー的なものなどいろんなジャンルでみなイカす。そもそも暗いキモチじゃダンスは出来ないだろう。いわゆるスポーツ的なフィジカルを使うものは、孤独や苦しさを内包し、パワーに変えることはあるが、元気がないとやりづらい。やろうとも思わないだろう。その点も、逆説的にダンスしているということは快活な心持ちであると勝手に思っていて、快活な心持ちは人生に役立つと考える、私、マサヒロでった。

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アウトサイダーとかせきさいだぁの違いを知る。

アドルフヴェルフリの個展へ行く。初めてみる作品。とってもいい。配置、濃密さ、色使い、雰囲気、格好良い、ひらけた感じ、見ていてキモチいい。東京ステーションギャラリーの雰囲気も素晴らしく、作風とマッチしていた。ジアウトサイダーの特徴は、閃きが突然のようにやってくるので発展性がないのが特徴だと、一緒にいった絵描きの友人からきいた。天才であるからして、誰からの要請には的確に応えられない。プロセスと結果がすべてということだ。そのことを引き換えにした人生はかなりの劇薬劇場だ。そんなヴェルフリに絵を描かせた、周りのひとたちもすごいと思った。なんせ、1900年前半のことだから。その後世にスイスより届いたファンタスティック・エキセントリック。一日で鉛筆を2、3本使い果たすこともあったと年表であった。それは今、同い年である39歳での一文。捧げるチカラ、渾身のチカラ、覚悟、生き様、すごいのよなアーティストってと心地よく尊敬する。東京駅はGW真っ盛り。ハイテクニックなビルディングと叙事的な歴史がハードが混ざり、ハートは物欲と物見遊山中の人種の往来も激しい。ギャラリーを出て人ごみをかき分けて、片岡メリヤス作の、ふくらむちゃんを見に行く。バッチリ商業にはまれている。重厚さはヴェルフリと違う。重ければ、その時に評価されるわけではない。でも重厚さは基本残る。誰もまね出来ないから、唯一無二だから。売れる人と売れない人も差は、自己プロデュースの差でしかないと思う。売れるのがゴールではなく、自分の内なる物を表現しくすのが芸術家だと、再認識した。その後渋谷へ移り、スタジオパークへ行き、どーもちゃんがいた。ふくらむちゃんの仲間にみえた。朴訥したNHKの敷地内は、家族連れが多く、ベタが多く溢れ、和んだ。自分の中のアーティストの部分が消えかかっている。それも含めて、自分だ。どこが一番表面にでるのか、眠るのかの差だ。そういうキモチで飲み屋で仲間と語り合った。そういうわけで、酒がうまかった。

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自治会とトレインスポッティング

ベグビーが自分は無学と呟く。トレインスポッティング2は、バカものの成れの果てだ。かっこいいとまっすぐに思えた映画の続編。自分の感覚も変化し、相手(監督や俳優)も変化し、さぁどうなるかの四つ相撲。自分とは無関係とは思えない内容。何のために生きているのなんて思わず考えてた20代、目の前に快楽に向かい、好きか嫌いかですごいスピードで選択していた。その瞬間的なスピードにゴールがひとつでも定まっていたなら、もっと違ったとも思う。生き方なんだから仕方ないとも思うけれど、その生き方はいつ自分で身につけたのか分からない。浅田真央は、小さい頃に目標をたててクリアする喜びを知ったと引退会見で話していた。ソレ素敵と思って、ココロに残っている。タイミングで刺さるコトバ、聞こえぬコトバがある。そのキャッチするアンテナやチカラはなんだろう。分からないことばかりだ。自分が石器時代にいっても役立たないということは結構、昔からコトバ化していたので、気付いていたのか。直視することの煩わしさに目が眩んでいたという寸法だ。人の性が変わらないということも改めて突きつけられる。そんな一週間の始まりの締めくくりは、人生初の自治会出席。シックボーイも自治会に行く時がくるのだろうか。以外と熱い討論。真面目に暮らしを守ろうとする姿があって、安心した。俺も自分以外のための量を増やして生きていく。それが無学のバカものの違った進む道だ。一人では生きていけないのだから。

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一人で舞台にたつということ

池ノ上を久々に歩く。いい街だな〜と思う。所々に夜桜が見える。あの先に、たくやが住んでいたなと思い出したり、付き合ってヒトが、好きな焼鳥屋がこの辺りにあったなと思いながら、麦酒を一杯飲んだ。GARI GARIというライブハウスに相方早川主催イベントを見に。スタート時間にお客が俺ともう一人しかいない。そのお客と謎の会釈をする。潜り込んだ仲間だからね。元来、気軽に話すべきなのに、話したいのに斜に構える日本人、そして私。なんだか雰囲気もいいし、麦酒も美味しかったから、自分の心のドアが自然と開く。かえるさん(今は水津さん名義)の女性ソロシンガーが今日のお目当てだ。昔、対バンしていたが気にも留めず、早川の家から見つかったサンプルCDをコピーしてもらい、それからはめっちゃヘビーローテーション。家人と早川と3人で、聞き入り、ネットで調べて活動されているのを発見して喜んだり、クルマ移動の際には必ず聞いていて、毎回静かに熱唱、そして賞賛を繰り返していた一年間。この日、ライブを見ることに。京都から御呼ばれしたかえるさんに、始まる前に色々告白し、サンプルCDにサインをしてもらい、作品の流れなどを聞いたり、作品を大人買い(といっても1枚500円だけど)して、記念写真をとった。その他の対バンは長き盟友YDO。驚きのいい声だった。相方はピュアで、かつ面白かったし、各人のソロをお菓子をムシャムシャ食べながら、お酒をノミノミして、特等席で聞き入った。かえるさんは、かえるさんの歌は、作る曲は、モノトーンで飾り気でなく、コアのみで優しい。独特、丁寧、豊かなんてコトバも浮かぶが、兎に角いい歌なんだ。ハードボイルドな映画の始まりに使われていたらドキドキするだろうし、挿入歌、エンディングでもバッチリに違いない、映像にあうからドライブにもあう。「あやとり」というガールズバンドもやっていて、そちらもいい。聞いたことないのに口遊めるメロディやリフ。我が子も踊っている。こういうヒトがセカイや日本にはいて、有名じゃなくても素敵な作品作りを、自分に正直にしているんだと思うと、すごいぜセカイってと思う。一人でステージに立つのは、孤独でスリル満点なんだろう。裸を見せるようなキモチもあるのかないのか分からないが、急に興味がわいた。逃げずにいってみよう。

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La la land

家の近くに気に入っていたラーメン屋さんができました。かなり美味しくて、今も思い出すだけで涎がでてきそうです。相方より長男誕生祝いで、曲がプレゼントされました。かなりのハズレっぷりで、これをもらった歩くんはいつかどう思うのだろうかと、考えただけで笑みが漏れそうです。penautes recordsのいでにぃから毎月レコードを福袋的にセレクトして購入することとなりました。どんなブツが届くのか、嬉しさが早くも込み上げてきます。素敵な家具屋さんがあって、アーミーなケースを衝動買いしました。早速お気に入りCDをニッコリと並べました。

いいことだけを並べました。そうでもないこともちゃんとあります。そんな折に、『La La Land』を見た。映画を見るタイミングによって、その映画の評価も違うと思っているのだが、きっとどんなタイミングでも良さそうな気がした。大好きな映画だった。見た人はどこでと思うだろうが、涙も落ちた。何者にもなれるか分からない不安だらけの音楽家、詩人、役者、画家などの無名のダイアモンドたちの背中も押す作品だと思うし、幸せとはなんだろうという手紙が、寂しさと喜びを包んで胸に届いた。ミュージカル場面や曲たち、ライブ、ストーリー、構成、景色、テンポ、主題のすべてが良かった。頑張るってこういうことか、好きなことを見つけるってこういうことか、、、と自身を懺悔しつつ、我が子や闘い中の仲間のすべてに見せたい!!!!ライアンゴスリングも好きな俳優だったし、ジャズも好きだし、POPにヒラけていた。驚くべき、アメリカ。すごいエンターテイメントな国だなんて、よく使い古されたコトバも口をついた。トレインスポッティング2も見たし!

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若者のすべて

このミニ連続記も今日で終了。また元には戻れない、元の生活に戻って、この日々も想い出になる。4日の夜は、ひかりの深夜泣くじゃくりが1時間続き、違った立場の二人は悪戦苦闘した。なぜ泣いているのかが分からない。泣いているのが、我が子ではなく好きなあの娘だとしても、、理由がわからなければ・・・銀杏BOYZのように、♪あの娘を愛する為だけにああ僕は生まれてきたんだよと、どうにも出来ないこの無力さに打ち拉がれる。そういえば峯田さんとは同い年。俺は同い年に弱い。松坂世代というような括りも好き。同い年の友だちがもっとほしい。というか知り合いや仲間はいるけれど、同い年の友だちはほとんどいない。同世代の盛り上がり話が好きだ。ダウンタウンとかジャンプ漫画とか流行っていたこととか、同じ時代に吸う空気が醸成するものが確かにある。時代を掴む音楽やコトバもゾクゾクする。そういうものは若さノ特権だと思っている。そういう話が出来るとタイムスリップしたようなキモチとなって、大好きだった小学校時代を思い出す。ドロ警や基地作り、野犬狩り、野球やサッカー、ビックリマンチョコやラーメンバー、ミニ四駆、キン肉マン消しゴム、ゾイド集めなど遊びたい放題だったし、遊び相手も事欠かず、自分が全力出せていたような気がしている。話戻って、、泣いている子・娘のキモチわからないが、わかりたいよ〜と伝播させるには一番は、歌だと思う。歌を歌うことや聞くこと見ることがなにより一番いい。小さなお子達には、家にある沢山のCDやレコードを聞かせるぞ。そして、家にはない音楽を俺と家人は永遠に探し求め、偉大な音楽家たちの作品を、心のバックヤードに収納させたいと思う。俺も10代に聴いた音楽体験が、今も自分の多くを形成していて、そのメロディやメランコリックはその頃のソレと確実に繋がっている。そういったものを自分のチカラで掘り下げてきたと、我が親をみて思っていたが、時間の経過ともにその考えも変わった。必然の前に偶然が多々あり、自分のチカラだけでここまできたはずがない。新しいお子がきた今日、歌を愛するカナリアのような部屋にしようと考える。その結果が分かるのは、同じく40年後かもしれない。俺がよくアコギで弾いているフジファブリックのカバー「若者のすべて」を、ひかりは鼻歌や全力歌でほぼ毎日歌ってくれている。

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すこやかに おだやかに しなやかに

谷川俊太郎さんの本のタイトル「すこやかに おだやかに しなやかに」。老若男女に当てはまるコトバだと思う。この日記的ブログを毎日書くというコトは、時間的な余裕があるから書けているわけだが、それくらいの余裕はほしい。以前「昼飯すらゆっくり食べれない仕事や人生って」と会社の上司が呟いていたことがあったな。また、日記を毎日書いている友だちもいて、10年以上毎日書いているらしい。その友だちの家で、39歳にもなってお漏らしをするという珍事件(ご迷惑千万ですが)が最近、発生した(この珍事件はまた今度書こうと思う)。音楽をすることも日記みたいな感覚があって、たまたまそのとき体内に流れている音を外に出したり、たまたまスタジオに入って録音しているものだと、相方とよく話していた。こうやって立ち止まって、書いていると普段、流れているコトバや記憶が一瞬アウトプットできる。何にもないような日々も、インパクトはちゃんと残っており、大事件なんて必要なしだ。そんな一端も「すこやかに おだやかに しなやかに」というコトバの中に含まれている気がする。自然体とはどういうことか、自分にはまだまだ掴みかねているが、いつの日か自然体に、且つ、パンクでもいたい。4日の夜に二人で、お気に入りの風見鶏ラーメンで、打ち上げをした。食べまくりの7日間だったので、二人とも常に満腹感があって、食べ歩き旅みたいだった。彦摩呂ごときほっぺの張りだ。乾杯は、やっぱり瓶でしょということで、瓶麦酒と瓶オレンジジュースで乾杯。大好きな餃子が登場し、大きな声で「ぎょうざ!」と叫んで、周りのヒトや店員さんが微笑んだ。いろんなハイライトがある。だいぶ仲良しになったなー

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