久しぶりに夕方の海へ

家族でゆっくりと、海へ夕方散歩した。家から徒歩7分ほどで海には着くが、ゆっくりと散歩をする場面は少なく、減っていた。長女が小さい時は、そんな時間が大事で、幸せで、ゆっくりと子どもや家人と歩くことを目指していた。下の子が生まれ、長女は保育園に行き、家人も働きだすと忘却することもある。取り立てて忙しすぎることはなく、そうならないようにブレーキをかけながらアクセルを踏んでいる私たち家族は、緩やかに日常に漂っている舟だ。家人は貝を拾い、長女は砂団子を作り、長男は掘ったり動き回ったり。自分は、そんな家族と周りの風景をみていた。本を読む人、仲間や恋人と海に来た人、犬と散歩している人、ゆっくりと散歩している人、走っていたりサーフィンしている人、そんな感じだ。柔らかい空気がある。ないものもいっぱいある。ゆっくりと夕方に散歩できる僕らは、今とても幸せなんだと思う。海を見れば津波や地震をすぐに思い出す。富士山をみたら噴火もあるかもなんて思う。事故や病気や不仲は、、限りある時間でただ遊ぼう。漂う舟を、なるべくいい感じで漂う為に、時折、陸地について散歩をしよう。世の中、不安や嫉妬という見えない病があり、夢中になってすれさえいれば、気にもならないものだけど、一度熱中から覚めるとその病がすぐ、角から顔を出す。そんなときは散歩だと思う。歩行で海に来れば、誰かを思い出し、会いたくもなる。そんなチカラが春の海にはある。