イチロー引退したり、ピエール瀧つかまったり、

色んな事件が世の中を賑やかす。水面下では色んな草の根で悲喜こもごもがある。有名人はそのギャップが大きいのでインパクトがある。「そんな風に思わなかった」とはよくもまぁ世の中鈍いなと思う。俺は鋭いぜと言いたいわけではないし、もっと色々な経験を体験している人は沢山いて、その鈍感さをきっと苛立ったり、平和だなと安心したりしているのではと思う。「この近所でこんなことがあるなんて」や「このエリアでこんな災害があるなんて」や「あの人がこんなことするなんて」とは、よくよく考えれば、都合の良い見立ての連続で、一瞬そう思うことはあっても、その一瞬後にはまた都合よく世の中をみていると恥じるべきことだと思う。なんでも深く洞察し、構えていることが素晴らしいわけでもないし、肩の力を抜かずに生きるなんて中々しんどいから出来ることは尊いことかもしれないが、都合の良い見立てほど必要ない代物のような気がする。楽観的な感覚とはこういったことで活用するのはなく、不都合なこともありうるを前提に、装備されているのであればそれはきっと役立つ感覚だと思う。行動だけでなく思考も停止している世の中を人は平和ボケと呼ぶ。平和でボケてて何が悪いんじゃいというのもわかるが、平和でぼけていますと分かっていることや、いつかは何かがあるかもしれないから気を付けながら生活や仕事や国をみていながら平和ボケならいいボケ(幸せ)だ。

イチローの引退につまった彼の活動量と意志には敬服するし、ピエール瀧のドラッグなんてたいした事でもないので、出所したらまた彼らしくやってほしい。

世間という当事者じゃない中身のないオバケに惑わされるなら、ネットもテレビもみないほうがいいね。裸眼でゆこうよ。