結婚記念日

色々忘れないようにと、籍をいれたのは3月11日。2014年のことである。2011年の3月11日以降、を平成の現代に生きる生活者へ大きな変化をもたらせた。原発から離れるために福島から遠くへいった人たちもいる。生き方働き方を見直す心理も根強く残った。その後、グローバル化や仕事ばかりの人生、都会型の暮らしに霹靂し、新しい生き方を模索し、模索することにも疲れた人も多くいるだろう。その嘘や上っ面のカウンターがヘイトな社会現象や不寛容さに繋がったりして、分断もされている印象が個人的にはある。何かから逃げるように地方へ向かっても地方も迷惑だろうし、本人もつらい結果や経過もあるかもしれない。

でも何かから逃げてもいいし、地方も少子高齢化の大きな課題を打開できないままだから、逃げてがきっかけでも都会から地方への循環の一助になればそれは結果オーライなはずだ。嘘をつかないほうが重要だ。一度しかない人生は、不安や焦燥感、みじめさもそれぞれに完備されているものだと思う。見栄張りや置きにいった時間の使い方ほど無駄なことはない。そんな社会の空気。社会の窓とよばれるズボンのチャックからそんな空気がぬけてほしい。

それほど嘘なく、身の丈にあった暮らしをしていたんではないかと思われる東北のご老人たちが、生きがいを失い、お金がなくもやしなどで凌いでいる姿を映像で昨日もみた。お酒におぼれて、浮遊感を一瞬だって味わたいだろう。そんな過酷な惨状を見て見ぬふりはできない。不器用に闘っている彼らや彼女らや周りの人たちと俺たちは繋がっているのだ。ハッピーエンドをのぞむのは悪いことじゃない。でも沖縄問題も震災もエネルギー問題も孤独に追いやられている人たちも隠して、都会で気流に器用にのれている人たちに牛耳られるほど神様は不均等に作ったりはしないさ。アップル、アマゾン、FB、グーグルたちよ、これからはきっとローカルの時代なんだぞ。