mono no aware

mono no awareというのは、友だちが教えてくれたかっこいいバンドの名前だ。その中で「東京」という曲はなんだか懐かしく、でも初めてでドキドキする。そんな素敵な音楽を教えてくれる友だちがいる。感謝だ。

かもめのジョナサンこと佐原君が写真集を出した。そこには巻頭4万文字のインタビューがあり、そこに俺の名前が5,6回出てくる。

命の恩人だとも書かれていた。どこかで誰かに何かが残ることが夢のような結果。それが作品だったら最高と思っているアーティストは大勢いるだろう。一人でも残れば。こんなに嬉しいことはない。そんなことが12月に知れて、帰りの電車で涙が出た。

こんなブログだが、読んでくれる人がいてたまにコメントをもらうと嬉しくて仕方ない。大阪に住む、弟のような同志のようなファンのようなその絵本作家を目指すアーティストからもたまにメッセージをもらう。以前、たまたま出会った職場で熱く夏を過ごし、自分の大阪時代のハイライトとなる宝物の出会いだった。彼が彼なりに成功することを心から祈っている。

ブログには本心を書くことで、誰かに読んだもらうことで、気持ちの何かを消化させ、心模模様を昇華したいと思っている。全部を流さず、一部の気持ちを記録する。そんな作業が自分にはたまにほしい。そこで出る吐露は、それが自体が処方箋となっていて、自分の正気を保っているのかもしれない。文字を紡ぐことの大切さもまた感じる。

京都に住む友だちは、俺の弱さや儚さを感じ取り、ブログという文字のテレパシーを受け取ってくれ、メッセージをくれる。ぬくもりのある友人がいてくれるこちに安堵し、感謝という言葉が胸に浮き出る。

先日、20年来の友人たち十数名と新年会をした。みんな大人になり、パワーが落ち着いたと思った。はっちゃけられるエネルギーもまた恋しい。バカ騒ぎとは言わないが、バカになれてた仲間とバカにならず飲み会をするのはなんだか寂しいなと思った。みんな家族が出来たり、手の届く範囲でしっかりと活動ができている証拠なのだが、妙な大人しさにも感じ取れ、1人だけはっちゃけた人がその飲み会にはいて、彼だけが今を強く生きているような光を感じたりもした。

自分ももっと飲み会に全力だったのになと思ったりしながら、最寄り駅から懐かしい歌を歌いながら、月をながめて帰った。

いろんな友達たちよ、俺よ、何かでっかいことしようぜ。byくるり