家人とわたし

結婚して、6年目の春を次に迎えようとしている。震災は大きな影響を個人にも社会にも影響を与えたはずなのに、ちゃんと薄れていく。そのことを忘れないという小さな気持ちがあって、3月11日に籍をいれた2014年。日記やら年末年始で個人を振り返ることはあるけれど、結婚を振り返ることは中々ない。お別れや病気などのマイナスことがないとしないよね。岡村ちゃんの「結婚への道」を読んでからというもの「結婚」って何なんだろうと考えてみたくなった。左記の本では、結婚派と事実婚派、興味がない人、何度も結婚をしている人が登場してくる。もし人生やり直すことがあったとしてもわたしは結婚すると思う。経験から少数精鋭の家族やバンドが好きだ。その単位が落ち着く。生まれてくる時も死ぬ時もひとりで、ひとりの集合体が家族やバンドなんだけど、その枠組みにホッとしている。甘ったれている。甘ったれていいと思っている。甘ったれた人の人生は小さなことしか起きないだろうが、その小ささに居心地を感じるならば、それが習慣、想い、宿めならば。

育った環境の原風景は大きな影響があるとよく言われるが、その通りだと思う。カウンターとして抵抗もするが、やはりそこに帰属している。

母親は人とつるむのが嫌いだった。親戚付き合いも。みんないい人たちなのに。最低限でいいと思っていたようで、自分の母親が亡くなってもその様子がありありと出ていた。母親の妹は、私宛の手紙で、母(おばあちゃん)は、ずっと待っていたと。もっと母(わたしの)に会えることや電話で話せることを。でも母親はこれでいいんだと思う節があった。かなりの推測だが、子どもの頃がトラウマで、そこから離れたかったのかもしれない。それを貫き通している。なので「最低限」の付き合いが私の家族のベースとなった。大きくなったわたしは、自分の生活の所謂テリトリーに他人が入ってくることに慣れていない。最低限の気に許せる人以外に。一方父親は、真逆であるが徐々にというか母親に占有されたその空気に馴染み、家の中はそれでいいとなりカスタマイズされた。家の外ではそういうわけにはいかず社交性を存分に出している。母親は特定の人への愛情の注ぎ方が深い。父親はもっと開けたいんだけど、特定の人への愛情の注ぎ方が不器用で手法は少ない。その二人に育った自分の家族像はそこから抜け出したいと思っていたし、行動にも移している。その過程ではあるが、その習慣性は自分に宿っていると気づいている。

でも親子はコピーロボットではなく、徐々に薄まるものだと思う。なぜなら先天性ではなく、あとからやってきたものだからだ。

そういう中で結婚を捉えたときに思うことは、沢山ある。

気が合えば、気を合わせれる素敵な人に出会えたなら、幸せな豊かさは数知れず生活に降り注ぐ。

ご飯のとき、「美味しい」と頷きあうし、声に出して食卓に花が咲く。

寝るとき、一緒に布団に向かい、天井を見ながらくだらない話をして、いつの間にか寝ている。

テレビをみながら、文句を言ったり、一緒に笑ったり考えたりする。

仕事へ行くとき、帰ってくるとき、「いってらっしゃい」「ただいま」がこだまする。

病気のとき、支えあう。とても暖かい気持ちになる。

家という生活の舞台を一緒に作っている。家具を買い、便利なものや素敵な装飾を分かち合う。

未来を考えるとき、子どものことや自分たちのことを二つがひとつになる。

悲しい時やつらい時は、いつものそばにいて心配しあう。温もりを分かち合う。

楽しい時は笑顔で時間があっという間に過ぎる。

結婚でなくても、事実婚でも同棲でもできることばかりだ。

永遠の約束なんてないけれど、永遠の約束のようなものをしたとして、それが終わりを告げるときの気持ちが違う気がしている。

なので結婚は簡単にできるけれど、結婚するということでかけがえのない人との約束をしようという一途な気持ちの宣言だ。

そういう一途さをひとつは持って生きていたいと、書いていて思ったのである。