変化変節変更

「変化」といえば、体系が著しくふっくらとしていきた。ガリガリ君だった20代の自分が見たら、嬉しくも悲しくもあるだろう。ピクシーズのボーカルとか年取ったら超えているなんて、なって情けないんだと思ったもんだ。カートコバーンもジミヘンもミックジャガーも太ったら嫌だもんな。ジェームスブラウンもキースムーンも太ったらチャーミングさは出てきたが、体が悲鳴をあげている感じだった。自分の体に適した身体を維持することは、自分の道を歩くという意味で大事なきがしてきていて、ジム通いなるものも真剣に考えだしている。「変節」の季節は毎度ある。18歳も23歳も27歳も30歳も35歳も38歳も40歳も、色々な節目が背中を押す、胸を締め付ける、焦燥感が心を葛藤させる。友だちの変節は一番の影響、刺激になる。そんな大切な人の選択の変節が、自分にかえってくる。寂しさや不安や時間の経過を感じたり、やる気になったり。応援っていう形態が好きだ。音楽やスポーツのファンであることが好きだ。子を思う親の心も、友や仲間への言葉や少しの活力になるための様々な行為も好きだ。応援できる人でありたい。徐々に自分が主役である無自覚な感覚から、徐々に応援心が募る大人の階段登り中。変化と変節が色々とやってきて、見えない役場に、自分の変更届を少しずつ出している感覚だ。たどった道が人生なのだから、これからたどる道はもっとシビアになるだろう。沢山の思い出という切なさを抱えながら。