お盆が良く思えたとです

今年は小売業を卒業した年でもあった。そうすると、所謂、繁忙期の見えない責任っていうやつを回避できるんだとお盆が終わって気付いた。大した話じゃないのだけど、お盆の存在感に触れたなと思った。働く世界ではお盆はお休みモードで、緊張感の糸がほどかれている。電車も街も静かだ。気持ちが落ち着いたお盆に、仕事も緩やかに勤務しながら、実家に帰った。実家のある浦安市もお盆に帰ったことはほとんどないので、その静かな街の雰囲気に触れたのも久々で、地元のイメージがよく見えた。静かな街では、人が少なく、車も途切れ途切れで、お店はしまっている。その空気は、落ち着くと同時に少し寂しい。寂しさのサービスエリアから切なさが発進される。友情や恋心、その時々しか味わえない、手に触れられない想いを思い出す。もう触れれないと思うと愛おしくなる。その切なさが静かな電車や、親の自転車を借りて疾走する夜の街で、一人息を吐く。若さを欲しているわけではなく、その手の届かない「あの想い」を欲する。すべてを塗り替える、新しい友達がほしい。ずっと馴染みの友達ともっとゆっくり話したい。急ぐと見えないものが見えてくるゆっくり。自分がどこからどこに行こうとしているかなんてわからない。過去も大事にしていきたい衝動を、センチメンタルな夜道の街灯と風が掘り起こす。もっと切なく生きていきたい。