シゴトは百貨だねぇ

過去の職場の人たちと会う。若干、時の古さを感じてしまう。もっと時間がたつときっと恋しくもなる気がする。そして今、いろんな仕事に従事している新鮮な人々に会うと、自分の心に、頭に、様の違う風が数多く吹く。羨ましかったり、自分との距離感を感じたり、不思議に思えたり。風が吹いている。絵を描く人、書を書く人、音楽を作る人たちは、唯々羨ましく、応援心も咲いている。問題は私を含めたサラリーマンだ。これまでサラリーマンとして働いた仕事は主に3つだ。世間的には多いみたいだ。携わった仕事内容には規則性がある。それは自分が少しでも面白そうかと思えるかどうかだった。そしてそしてこれから。もうサラリーマンは卒業することにしている。その決定だけで少し気持ちが和らぎ、少し不安にもなる。どんな仕事でも誰かが対価を支払ってもらえる価値があれば、仕事として成立する。それを多くの人数で作るのが会社だとすると、アーティストや独立する人はやはり逞しい。お金を稼ぐためではなく、お金を頂けるための「素敵なモノや͡コト」を自分で作り出せるのだろうか。そこはきっと自分への信心とマーケティングと縁なのかなと思う。もう一度バンドをやるような気持ちだ。あの頃は存在証明。これからは存在生存。共感も個性も出会いも興奮も努力も客観性などのその他はほとんど変わらない。存在を生存させていくための活動である。ちょっとだけまだ欲張りな。