生活の手帳②

「仕事」はしているが「生業」を見つけられず、もうすぐ41歳になる書生。「生業」を見つけている友だちの幸せとそれが故の苦労も何となくわかっている。同じく、「仕事」を見つけて幸せそうな友だちもいるし、働く内容の妥協とそれによる余力で趣味や家族、刺激的な休暇の過ごし方を獲得している。どちらでもいいじゃないかと書いていて思うのだが、承認欲求の高さと無意味な闘争、自分への期待がある書生。頑張った分だけ己を認められたい欲求はいつの時代も高い。結局は才能やセンスもあるんだが、「頑張った分」というのが全てで、それが大変なんだと思う。今の仕事はこれまで以上に野原感があり、大変だ。だいたいをやらなきゃいけない感じなので、表現力や解決能力を求められる。コミュニケーション能力も。所謂企業にいると、そういう力はどんどん衰えていく。というか必要さが見えにくくなる。なので、その会社では力があっても、その組織のスキームをこなすだけで評価基準となる。企業が離職率だけを下げたいのであれば、その会社の仕事しかできない人を沢山作ることだ。でもそれは、その会社の力の低下を意味する。目的も目標が狭義となり、時代の変化に追いつかない組織人の集団を作るからだ。俺は今、時代の変化に何週遅れであることに気付き、ちょっぴり「生業」に近い「仕事」をできるようにを目指している。