四国 中編

高松空港に到着した。成田空港からの出発だった。成田空港は不便できっと場所が失敗だったと思う。場所って大事だなと思う。仕方なしに行く人は多いと思うが交通機関としての魅力が全くない。文化もないし不便な場所で、闘争があった上で獲得した場所にも関わらず、諸条件で収まっただけの立地。事実誤認なのかもしれないけれど、そういうことしか現状情報からは伝わらない。高松空港を出て、レンタカーで高松市に。幼き頃に通過もしくは行ったことがあったのかもしれないが、記憶なし。記憶も予見もしていなかったので、予想以上の繁栄と、景観の良さに県庁所在地ランキングをもし意識していたとしていたら一気に20位くらい上がった気がする。建物の古さと美観の保ちかた、道の作り方、人の行き来の様子などがバランスよく、四国の玄関口さすがと思えた。2県目の徳島では叔父さんの家に泊まった。91歳のお祖父さんと88歳くらいのお婆さんも元気に暮らしていた。30年前に建てられていたにも関わらず、モダンで大きくて豊かな家だった。家の中は合理的な状況状態が全てといっていいほど表現されていて、隙のない安心さが、まさに「家」だった。叔母さんも含めた住人たちの意識、考えが家になっていると思った。旅の一つの目的は、叔父さんの家に泊まることと、父親の父親の喜八郎じいちゃんの墓参りと家を見に行くことだった。喜八郎じいちゃんはお婿だったこともこの旅で知ったし、自分の家のルーツに広がりも初めて感じられた。都会に住んでしまうと失われる血筋、ルーツについて。己よりもっと大きな存在、脈、器があって自分も至っているという感覚が少し理解できた。これまで知り得なかったことを入手して。喜八郎じいちゃんの家には、幼少期に年数回は千葉より帰省し、滞在した。長男家から生まれた長男だったからか可愛がられた記憶がある。将棋を教えてもらい上等な将棋セットをもらった。何回もさした記憶がある。挟み将棋などもその時に教えてもらった。パイプをくわえたおじちゃんは、酒や博打も好きそうでチョイ悪な匂いがあったと思う。今回聞いた話では、10人兄弟で唯一大学に行かせてもらったと。色んなインテリジェンスが注入されていたんだと思う。でも婿に入った。その理由は大したことないのかどうなのかもわからないが、なにがしかの判断があったと思える。喜八郎おじいちゃんが最後の入院で、幼き小学生の俺に、将棋で初めて負けた。初勝利の嬉しさよりも寂しさがあったことを今でもよく覚えている。