四国 前編

実家を合わせると、9泊10日という20代以来の久々ロング宿泊旅を実行することができた。日常の時空を超えた感がする非日常の「旅」を特別な存在として、存在する現代の中の俺。仕事を辞めるからできたタイム空間を泳ぐことができた。旅する人、挑戦する人、とにかく自分の外に出てインプットする人がいていつもいつも羨ましく思う。また自分のするべき生業をちゃんと持ち、そのことを徹底的に行なっている人も何より羨ましい。その両者ではない自分は、世の中のその他大勢と同じく、自分の範囲の中でもがき、座標軸を時に忘れ、ポジショニングを見失わないように日々の中で対峙し、その敵と対峙する。転職するにあたり、そういったところに目を向けてみて、突き進んで見たいとリールを我が川に投げて見た。その活動のクライマックスがこの旅だった。旅行ではなく旅と言いたい部分が心にあった。内容はともかく、心持ちとしてのネーミング。このタイミングでの四国行きにはいくつかのタイミングがあった。保育園には行けていない娘は、3歳8カ月。もう色々とできるし、話せるし、伸びやかな時期でいろんなところでの体験は、全てが肥やしになっていると見ていると心から思うので、そういう機会になってほしいなと思っていた。長男は1歳2ヶ月。我が家の新たな仲間として、多くの時間を生活以外で一緒に過ごす初めての機会。きっと何も覚えていないと思うけれど、旅前と旅後では長男以外の3人の気持ちも変化している。客観的にも彼との生活を見ることができるし、彼も何かの変化の入り口の一つになるだろう。そして家人。ずっと側で一緒に生きる彼女へ、もっと色んなことを体験させてあげたいと心から思っている。子育てては本当に大変だ。大変以上に我が家の子育ては幸せだ。でも不自由がある。その不自由に滅入る時はみんなにあるだろうし、彼女にもある。そんな彼女の窓を少し開けてあげたいと思っていた意味もある。最後に私。転職によるリズムの変化、今後への新たな「本腰」への栄養、生前よく行ったおじいちゃんの家へ行きたかった、そして墓参りに行きたかった、親友卓也の墓参りにもまた時間があいてしまったので行きたかった、よくしてくれているおじさんに会いに行きたかった、親友けんじに会いたかった。家族四人で過ごせる時間は思ったよりもきっと少ない。そんな家族の一つの思い出に、旅を選んだ。自分たちで選んだ旅は、家族の結びつきも強まり、これからも頑張ろうと思えるものだったと後に思うに違いない。間違いない。