これからひと月

いく日かの挨拶訪問を残し、前職の活動を終える。縁あってやらせて頂いているアルバイトもあと数日間で終える(このアルバイトほんとやってよかった!)。丸々1ヶ月間弱、この時でしか過ごせない日々を過ごす所存でいる四月終わり。五月は、大人の珍しい季節はずれの夏休み的になる予定。大人になると忙しくなる。本当は忙しくないかもしれないのに、忙しいふりもしているし、明日を憂、帰りを急いだりする。体力気力も落ち込めば本を読む気にもなれないし、音楽は心に届かない。映画館に行く気力もわかなければ、美術館のことは忘れる。友達に会いに行くこともあるが、消極的なスケジュール構成にもしがちで、家族がいれば家族との時間も優先するし、生活の為のしなければならない活動も追随してくる。余裕やあそびがなければ心は少しずつ荒む。抗うこともできるし、抗い続けて行くのだが、そんなサラリーマン、いや労働者、いや大人の状況がある側面は否定できない。それも宿命、時の流れと位置付けても、一度しかない人生をもっともっと励んでいきたい自分の根底感は、その逆を目指しつつ、現実は手が届かない。そういう自分のライフステージの中の五月。愛してやまないお子たちと、たっぷりすごす。暮らす。お子は小さいので、今しかない。今しかない時を大事にできるシチュエーションに恵まれた。大袈裟なことはない。一緒に過ごせばいいのだ。歌を歌い、絵を描き、踊り、食べ、笑い、会話をする。眠り、起き、洗濯をし、掃除をし、お出かけをする。海を見に行く、色々な場所を歩く、赴く。彼や彼女は全てが新鮮でご機嫌だ。なんでも楽しそうで、いつも笑っている。たまに泣いている。でもご機嫌はいつもかなりいい。そんなお子や家人との時代をいつか振り返れば、その素晴らしさに溜息も盛れるはず。そんな五月。とても楽しみで武者震いはせずに、静かな闘志で見据えている。