仕事を終えて。

10年ほど働いた、職場を離れる日がきた。最後という事で、誰であっても最後というテーマで話すことが繰り返され、何かを懸命に掘り起こして会話をした。しかしながら記憶というのはよくわからない領域で、自分のコントロールが利かない。強烈に残る記憶だけが残っている訳ではなくて、大したことない事でも克明に残る記憶もある。掘り越さないと出てこない記憶が大したことがない訳ではない。その人への愛情が記憶量とリンクしている訳でもない。長い前置きはいいとして、仕事といえど、出会い。さようならは何事でも同じと考えると寂しい。いつも最後の気持ちで生きていたら、もっと全力で出来ることもあるだろうけど、切なすぎる。明日が約束されていると思い込む事でどれだけ助けられているのかと思う。死ぬまで会わない人と銘打てば、もう葬式気分というところまで妄想する夜もあった。自分の判断が何に委ねられ、自分が航路を推し進めているのかもわからない。記憶もわからない。意志もわからない。何もわからないのかしれない。ちょっとした選択の数々で、今ここで暮らしている。そういう意味で生きるとは不思議だ。人々の職業選択の自由は、対価ややり甲斐や合理性で決めているんだろうし、自分もそうなんだが、始め方は何も疑問なしだが、終わり方に直面し、今まで感じたことがない感情に出会えている。始めることより終えることの方が断然難しい。仕事も男女関係も親子の縁もバンドも仲間もプロジェクトも。。始まりは希望がベース。終わりはベースは希望だけではない。希望に塗り替える為に戦う時間を過ごしている。そんな今です。有難し日々に尊さもちゃんと持てて、辞めれたことだけはよかったなと思う今日でした。