サンデーナイトホーム

日曜日の夜の駅のホームが好きだ。寂しさが漂っていて落ち着く。昔から好きだ。寂しさも孤独も好きだ。それだけではもちろん嫌いだ。闇がないとヒトはきっと空虚な容器にしかならない。それだけがサンデーナイトホームを好きな理由ではない。漂うエネルギーが明らかに少ないのが安心する。穏やかさがあるのだ。ホームにいる人たちの顔が優しく見える。一週間を終えてホッとしている顔、休日を充実して終える顔、大切な人に会えた顔、、ムキになって、無理して窮屈な移動列車に乗っている疲れた顔が少なく、本来持っているそのヒトの顔が浮かんでいるのだ。そんなホームは、境界線がない一つのセカイに見える。みんなが一緒、みんなが主役、みんなエモーション、ステキなパッション、、自分のもつ感受性をもっと隠さずに生きていたい。音楽がよく響く1日をもっと過ごしたい。映画をみて心揺さぶれるヒトでいたい。素晴らしい読みモノに出会いトラップしていける軽やかさが欲しい。そばにいるあのヒトをいつも愛おしく大事に思っていたい。俺はこういう気持ちや意識でもっと入れる漢だ。そうじゃないとなんてツマラナイ人生じゃないか。春風が届きまして、出会った気持ちを記しております。