2018年はいつもと同じような感じではなく進んでいる。微妙に違う程度で傍目からしたら何の変化もないに等しいのだが、同じじゃないようにと進んでいる。気持ち悪いと思うがそれぞれテーマを持って、マンスリーごとで考えている。2月は働いている。21連勤してみた。連勤が終わったときハングリーをちょっと思い出した。このハングリーさが10年前から欲しかった。40歳でも50歳でも必要な気がするハングリーさ。ハングリーがないセカイに長居していると、たいしたことはその先には起きないと思い、たかだか21連勤なんだが、21連勤する必要があるシチュエーションにいる自分に対してハングリーさを感じたし、目を背けずに感じる必要があった。そんな2月のライオンだった。そんな日々は一日平均3時間電車に乗っていた。電車はつまらない。電車オタクには今のところなれない。一番いい乗りモノは、夏や春のバイクだと思う。それはいいとして、電車の中では色んな声が聞こえてくる。昔、テレビ番組で「詩のボクサー」というのがあった。一人の詩人が「声」というタイトルをもらい、即興で40人程度のヒトの点呼を取るというのをやっていたのを思い出す。矢野「はい」中西「はーい」中村「はいっ」早川「はぁい」真中「イエス」鈴木「っはい」低い声・元気な声・印象深い声・ぶりっ子な声などなどを詩人は見事即興で、表現してみせていた。電車でも不必要に大きい声で話すヒトとかいると感性を疑う。なんでそこまで聞かせたいのか、いや何も考えてない、周りがみえていないダメなヤツだ。これを書いている間もいろんな声が方々から聞こえる。声の持ち主たちの、顔がみたくなる。声も顔と背中と同じく、そのヒトを表す立派な記号だ。声を失う時まで歌いたいと思い、終える。