見慣れているものだけどを思い出す

今日は渋谷でバイトさ。オザケンみたいな軽快でウィットにとんだ言葉が並べばいいのだが、バイトが終わり、少しヘトヘトだ。お気に入りの東武ホテル内のプロントでコレを書いたりしながら、19時20分からスタートする「デビッドリンチ・アートライフ」の開演スタートを待っている。そのプロントの中を西武百貨店の紙袋を持つ女性のが目の前を歩く。見慣れているような気がするデザインだが、今回、とても格好良く見えた。百貨店のデザインはおそらくだいたいカッコイイものが選別せれているはずだから、それもそのはずなのだが改めてよいなと思った。いくつの見慣れモノを思い出せるかなと考えているのだが、キリンビールのマークがカッコイイぐらいしか思い出せない。企業ロゴも古き時代性のモノは特に、視認性に優れていて、企業の哲学を汲み取って、名うてのデザイナーが作り上げている。見慣れているということになっているモノですら違える感覚は、残念ながらあまり持っていない。同じようで同じではない毎日を、鮮度を保って進んでいるヒトもいて、そういうヒトに恋をしてきた。自身もそういう日々の記憶もある。タイに初めての一人旅に行ったとき。全部が新鮮でウブに変身。ちょっと先の未来が未知数。誰と会い、何が起こるか予測出来ない。簡単にいえばワクワク、ドキドキした。いきているなと思って、テンションを抑えきれなかったことを、はっきりと覚えている。その最たる子ども時代は、毎日が楽しかった。特に遊ぶのが好きだったし、スポーツが好きだったから、その時間を常に待ち続け、しばしば明日の晴天をクリスチャンでもないのに前夜お祈りしたりしたもんだ。また、髪が多くて困り髪だった俺はどうしても髪を真ん中分けにしたくて、ピン留めを沢山して夜、寝ていた。サッカーの試合が授業である前日もピン留めして寝たのだが、朝取るのを忘れて、でも髪が多いから誰も気づかなくて(自分も)、サッカーの試合でセンターラインにボールを置くときに頭を下げたとき、相手のチームのセンターフォワードにピン留めを気づかれて恥ずかしい思いをした。にも関わらずサッカーが好き過ぎて、恥ずかしさよりキックオフが重要でかなりイッテイタ。そのままオトナになった子どもオトナもいる。俺は一番楽しかった時期は小学生だったような気がしている。