ヒトをわかるってどういうことですか?

他人の感覚を自分の感覚と同じようなモノとして思っている自分がいて、違うことが当然なのに、違うということがイマイチ分かっていないと思った今日だった。友だちが以前にくれた漫画「アンダーカレント」(著 豊田徹也)を数年ぶりに読んで、その中にでてくる台詞から、最初の一文となった。自分のことを分かろうとすることと、自分以外のヒトのことを分かろうとするのは見ている方向が違うようなモノで似ている作業な気がする。そして結論は、分かっている気持ちで居るのがおこがましいという前提で、自分のことも分かっていたいし、他人のことも分かっている安心の上で違うことを悩んでいたい、である。ただ、他人のことを分かっていることの安心感も欲しいけれど、「HIMITSU」は魅惑の人生のスパイスだという考えに書きながら至る。そう考えたとき、愛する家人も家族も友だちも隣人も仲間でさえも、知り得ている事はほんの一部である、その知り得ぬそのヒトを追い、探し続ける事を愛情や友情とよぶのかもと思う。相手がどんな気持ちなのかを注意深く推察せずに、すべてを知ったと思うような傲慢さがヒトを傷つける。そして、そのヒトを限定的な存在へと落とし入れ、大事な関係性を破壊する猛毒の一種なような気がした。年を取るとどんどん分からないことが増えて行く気がする。2月は働くぞ!