選んだり選ばなかったり、その選択

最近は、ここ数年にはない、方向へ進みだそうとしている感がある。この幻のような感覚をその最中に獲得するのは、ロジカルではない部分もあるので、もしかしたら幻。いつもの元さやへになるかもしれない。ストレートな表現でいえば、変わりたいと渇望している。渇望してきた。今年、変化をつかみ取ろうとアグレッシブさを出し続けたい計画だ。事故や病気、落とし穴、思わぬ結果にご用心。リスクとリターンは紙一重。兎に角、今とは違うペース、活動へを渇望している。1月18日現在、今年はその計画は順調だ。その順調さがいつ途切れるかは心配していない。脳を麻痺させて、迷うより進め!とインプットさせている。見た目には何も変わっていない。そしてまだ何も変わっていない。これから変わり始めるのである。まずは仕事を変える。そうすると会うヒトも変わる。行く場所も変わる。やることも変わる。それは大きい一歩。そこがゴールではない。これまでやっていないことややりたかったことを始める。この計画は、有言実行してから記録していきたい。特段、苦しいことがあるわけはない。すり減らしていることが苦しい。自分のポケットに入っているエネルギーも意識もすり減っていると考えている。それはだれのせいでもない、自分の活動量のせいだ。ゴールも決まっている。「いつか死ぬ。それまでを懸命にやっていきたい。」それが唯一のゴールで、そのことから目をそらさないように少しでも努力したい。目的は別にある。家族や自分や仲間、そして社会が幸せに感じられることを多く体験、提供、味わいたい。本当にストレートな気持ちを今日は書き記している。やりたいことは明確にないと、気付けないと遠回りする。そう思っている。その間に、変容したり諦めたりする。いくつになってもという言葉で臨めるヒトは限られている。10代は大事だ。子どもにも嫌われても伝えたい。好きなことをやれる恵まれた人生を少しでも歩みたいなら、本気だせだ。穴をほれだ。俺も今やっと、目的もって出発していると思っている。