明日はスチャダラパーのライブ

明日は、リキッドルームでスチャダラパー「暮れの元気なごあいさIII」に行く。いでにぃも来る。スチャダラパーも来る。まだどちらも知らないんだけど「KASHIF(PPP)」がライブ、セク山がDJする。全然疎くなってしまった現代の音楽家たちの今。スチャダラパーは暦が長い先輩なので、俺は楽しみだけをもって会いにいける。他のお二人は知らずに行くこと自体が恥ずかしいことなのかもしれないが、今の俺の実力では知らない。その昔、ソニックユースを新宿にあったリキッドルームでみて、前座で出演していた「想い出波止場」を知らず、少しいきって野次っていたことを思い出した。若さとは恥ずかしさ也。ただ、予習をしていこうとする気持ちは今も昔もない。映画も個展もそうだ。評判は終わってからたまに照らし合わせる時があるが、それもたまたま見かける程度だ。自分が良くて、世界が悪くて結構。自分が良いと思わなくて、世界が良くて結構、コケッコッコーだ。ただ、その時のフィーリングにどう響くか、味わえるかが真剣勝負。作ったヒトとのガチンコ相撲だ。それがなによりシンプルな姿勢だと思うし、当たり前すぎる話だ。昨今、評価や評判がうるさすぎる。外野のおまえらが、偉そうに、自分の人生のはけ口に悪口を咬ましているような、SNSやTVショー、評論家のヤフーニュースを目に入り、イカレてるぜと思う。仕事をしていても同じだ。周りを気にするより、自分の今ままでより前進しているかの方を気にしていたい。俺は、スチャダラパーのアルバム「ポテンヒッツ」と新しめシングル「あにしんぼう」しか持っていない。「今夜はブギーバック」で止まっている俺のハートに火をつけれるかスチャダラ諸君。俺は、好きになったらすごい好きに、そうじゃなかったらすごい評論家になるぜ。

でもね、評論出来るのは尊敬している証じゃないとね。尊敬していない評論は悪口。俺も悪口も言うけど、悪口言っている自分を誇っていることなんて全くない。情けないと思っている。

スチャダラパーはずっと続けていて、最前線か分からないが、こんな距離感の俺も行きたくさせる歴史があり、今も心に残る作品やコラボレーションを生み出し、すごいなって思っているから、明日が楽しみなんだ。