子どもたちと過ごす今日この頃

毎日、自分以外のヒトと同じ屋根の下で暮らすことに慣れたのは、すごく最近なような気がする。40歳になる私は、恋人と同棲したり、中学校の同級生とシェアルームをしたり、生まれ育った家族と21年間暮らしたり、家人と二人暮らしだったりと長い年月をかけて、ここまでやってきた。元来、気性の激しい性格で、起きた朝のテンションで一日が決まっていた自分に巻き込まれた、その時々のそばに居たヒトたちはとんだ苦労を重ねさせてしまったと思う。そのことは一言で言うと「情けない男だった」というコトバにつきる。自分に還ってくる所業を超えて魅力的なヒトもたまにはいるとは思うが、自分自身は嫌われることで、寂しさをまとってきたが、ラッキーな部分が今のところはあったと感じている。そのラッキーに気付いた時に、懺悔の気持ちとこのままじゃいけないと思ったことが何回も30代は発生した。その気持ちが今も時に薄れていることもあるだろうが、自分以外のヒトと普通に暮らせるようになった事実は、自分の変化と捉えていいのではと思える。自己中心である部分が他の人よりも強いのも事実だったので、生活という最も自己プロデュースが発揮される場面では、煩わしさや手間に我慢が出来なかった。逆の立場だったら、一日で御免だ。そんなヤツは殺しているかもしれない。一緒に暮らす子どもたちは、他人を思いやるようなことが少し苦手な季節で、泣いたり踊ったりと大忙し。眠たくても寝れなかったり、疲れていても優しく、自分がしたいことをしないで小休止・・・こういったことの繰り返しなのである。子育てという責任感もあるんだろうが、そうしたくなる存在に出会えたことを素直に幸せなことだと思っている。そして、この気持ちにさせてくれているのは、なにより家人の優しいおおらかさだということは間違いない。芸人長井のような締めくくり。