即興

   このブログではふと想っていることや、ココロにしまっていることを記録していきたいと考えている。自身は誰のブログも読んでいないので、逆に誰にも読まれていないと思っているが、家人が読んでくれているのと、疎遠になっていたヒトにこのブログを通じて、オンライン上再会出来たことに感動したので、一人書きではあるけれど、日記とは違い「誰か」が読んでいるかもしれないという緊張感が少しあったりする。再三ここで述べているが、書きたいことがあって書いているわけではなく、書き出しながらここまで書いているので、この点でも自身のタイプが分かる。絵も音楽と同じアプローチだからだ。これを即興という括りにしているが、即興とはなんだろうか。見切り発車なのだが、見切らず発車することの時間の差があるが、結局は自身の蓄積した物を捻出するので変わらない気がする。即興は年密さがないので失敗が多いのも特徴ではないだろうか。表現するうえの、ダイナミズムや自身の範疇を上回るもの(ミラクルさというべきもの)を生み出す装置としては相性の問題もあるだろうが、秀逸な手法な気がしている。設計図を書いてそれを遂行する。その設計図を何度も実験し、書き直していく。そんな自身と対極のヒトに畏怖の念を常々感じているし、自身の拙さに情けなくなったりもしている。能力でいうと名前が付かない、もしくは抽象的な尺度の能力がもし自身にはいくつかあるとして、それを絶対評価で保持していたら、もっと街を悠然と闊歩しているだろう。○○力なるものが適正化されているようで、多様化している現代には種類が不足している気がしているので、自身にも自身以外にも発見して、少しでも生きやすくしていきたい。みんな自信なんてないもんね。俺の友だちには、ものをラッピングするセンスの高い親友がいて、ラッピング力が高い!という発見が最近あった。俺はそのとき何力が高いことになったんだっけな・・。忘却力は確かに高い。でもそれはあまり嬉しくない。アホみたいだもん。悲しいことや自分に都合が悪いことは忘れられる力がある利点もあるが、学びが足りなそうでやっぱりアホみたいだ。