40歳になっちゃって

今日は40回目の誕生日。誕生日や正月には少しかまえる僕、俺、自分、私なのですが、今日は優しい職場のヒトたちが何故か、その報連相がしっかりとされていて、これまでにない量の「おめでとう」のコトバを頂いた。「ありがとうございます」と照れくさくなりながら応えた。ココロ優しき律儀な友だちも幾人からかそんなやりとりをして、自分の40歳になる悩みを吐き出させてもらい、頂いたコトバを吸い取った。こういう「呼吸」的なやり取りが、最近かけているんだと妙に納得してみたりもした。また、家人は朝一番に、本を4册差し出し、どれを読む?と聞いてきた。家人なりにこんな俺をいつも心配してくれている。並べられた本はどれも魅力的な作家、装丁。さすが俺を宇宙一知っている。今の悩みはパターン化された自分の脳、活動、感受性を超えていきたいということ。言うのは簡単だが、実現成功率はほとんど低い。「やればできる」というコトバも大好きなのだが、自分のそういった経験がどんどん遠くに言っている気がしている。また、変わりたければ、住処か一緒に居る相手を変えるのが一番手っ取り早いと聞いたことがある。どちらでもないんだなと思っている今、手っ取り早いがほしいのではなく、ゆっくりでもいいから手応えをもてるようなプロセスがほしいだけなのだ。なぜなぜと自分に問い続けたならば、素晴らしい音楽を聞いたときの感覚が一番好きという答えがいつも浮かぶ。それだけはよく知っている。そのことを大事にしたい。その時間がもっとあれば捉え方も違うのか分からないが、どんな仕事でも日々でも、生きていると感じる時は音楽がココロに流れている。そういう状況は、何もしない中では作られない。夢中になっている状態で暮らすことが何より幸せ。夢中になるには懸命にやるしかない。そんな日々では、疲れた帰り道もココロに音楽が流れているだろう。音楽がしたいという単純な結論ではなく、音楽を聞き、歌い、作りながら、生活の為の色々をしっかりとやっていきたい。早く仕事を決めて、夢中にやってみよう。そんな仕事があるのか、きっとある。勇気とやる気と元気という三種の神器を、胸にいれてさぁ40代の扉をくぐり出発。家人と手を繋いで。