ノスタルジーなメランコリックで乾杯

ここに何かを書き記すのが好きだ。毎度これを書こう!となんて書き出したりしていない。何かを思い出し、書き始める。そこからは思いつくままに書く。音楽での自分のやりやすいスタンスと近い。出来上がったものに驚く、いい意味でもそうでなくても。最初から設計することは苦手です。旅も人生も。その性で、こんな状況です、きっと。アタマに描く完成図にむかって進むことは、もう完成図がアタマの中に出来た時点ですでに完成しているんではと思い、すでにそのあとは作業ではという考えに行き着く。永遠の未完成とは聞こえがいいが、作業量や質に裏打ちされた奥深さが、出来上がりにはないので、味わいが長持ちしないのではと思ったりもする。例えば名曲はどこをきっても素晴らしいエッセンスが詰まっており、その甘美さがヒトを永続的に欲求させるパワーを宿すのではと考える。そのような深さがないとしたら・・・。そして日本語は難しいし、面白い。コトバの面白さに気付いた我が友人で小説家の友もいる。例えば、考える、思う、想うだけでも使い方を迷う、そして意図して使う。どれがいいかの判断は、音符もコトバもとても難しい選択の連続だけど、文章を書く時も、音楽を作ろうとする時もそんなことをいちいち考えていないときの結果も好きだ。なので適度に設計図を描ける人生がよかったな。いや多分、とても短期的には描いているんだろうから、ひとまず50歳の自分を描いてみよう。

んんんー描けないぜ、、ロックンロールベイベー。内田裕也、あんたは描いてそのアタマかい?それとも思いつくまま?それとも神のお告げ的な??いや樹木希林の依頼かも。全部わからない。乾杯します。乾杯!