気楽な友

今日は我が家の海開き。11月に引っ越してきて、夏を目指して過ごしてきた。冬の海も春の海も表情が違ってそれぞれの良さを、そばにいると気付く。海のそばは空も綺麗だったりする。夏はまだ断片的なことしかわからない。風の強さや人の量、海の家の雰囲気なんかも気になる。すべて予定通りなんかにはならないものだし、それじゃつまらないのだが、想定したがる癖が自分にはある。今日は海に荷物(シートや椅子)を持って、家族で海に行った。外国人なんかはもう、海で泳いでいるし、ギャルも出陣してナンパも繰り広げられている。娘、ひかりもそんな夏の空気を感じてか、海に入ってもいいはずだ!と時間が経つにつれてダイナミックな海の入り方を繰り広げていた。かなりの興奮で、奇声を発しまくっていた。家人が自転車乗りながら、海のそばに引っ越してきたんだなって改めて思ったとのことも言っていて、いつの間にやらここにいた人生だな〜と波の引き潮をみながら、そう思った。

最近は、友だちと会って話す機会が貴重に思え、色々なことを感じることができている気がする。そんな中、自分の過去を思い出したりしている。性格が難ありだったなとか、客観性ない言動だったなとかを思う。今もその傾向は変わりなくあるのだが、少なくとも比率は下がってきたように思う(というか信じている)。変わったことと言ったら、このことに気付いている点だけだが、全く論理的思考を私生活に持ち込まないようになっていた。仕事のほうがそれが持ち込みやすくて、得意だと思っていた節はある。本気じゃないから仕事は楽だと思っていた。時間の経過とともに、仕事も客観性の次ステップの、「だったらどうする」に直面しつつあり、そこが溜息の源泉だったりする。一方、友だちにも、表層気軽で柔和な人と、表層から気難しくて神経使う人がいる。最終的なコアな部分は分からないから、表層にどれくらいの意味があるのかはわからないが、俺は出来るだけ表層から気軽な人になりたいと、40歳目前にしていて思う。そういう友だちと会うと、幸せな気持ちになって、お酒が楽しく飲めているからだ。俺は気難しい星から来た、気難し部族にかつて所属していたのだった。