寂しいキモチを大事にしよう

6日目の昨晩は、ひかりも家人も、おそらく歩も涙を流していた。いつの間にか、愛情が育まれていく。そういう暮らしに、生き方に憧れていたので、尊さをもってこの日々を記録しておこう。家人も「ぽんぽこ日記」なるものを記録していて、さながら交換吉記、昭和的交際である。こういった瞬間な日々がロングシーズン続けば良いが、その積み重ねのゴールもまた「さようなら」なのかもしれないし、なるべく多くの自覚を、様々な場面や出来事でもっていきたいので、心にしっかりと残していきたい。これまでそういうことが希薄だったのではと思うに至るので、刻みネギのごとし刻もう。正反対のコトバたち。愛無関心、自由束縛、生死、反対側にあるものがあって、現状があるのことを知ると重みも違う気もする。ヒトは一人で生まれて、一人で死ぬ。基本は一人だ。ずっと楽しいだけでなく、寂しいときもある。寂しいキモチを大事に出来るようになれば、もしくは知れば、オトナも子どもも成長するもんだ。ひかりは、家人の入院の間、実はずっと寂しいキモチがあって、出来事で誤摩化していたようだが、昨日は寂しさが溢れてしまったみたいで、家人との電話で最後大粒の涙を流していた。電話を切った後、家人も院内の待合室で涙していたようだ。大事なヒトの存在感や不在を感じたり、自身の無力を感じたり、その先のことを想像して涙しているのかもしれない。そんな様子をみて思うのは、、、良く笑ってよく泣いてほしい。心揺さぶれていってほしい。ほしいのはカタチではなく、キモチだ。ヒトのインスタグラムなどのSNSを見ていると時に、悩ましいキモチになる時がある。自分って・・と思うからだ。思えるが花とも思っている。小さな家族の日常を自分を投影しながら、このブログを書いている。