ふたりはきょうも

春は二番目に好きな季節。しかしながら、楽しみの暖かさが中々来ない、、むしろ冬、雨、、。初めての土地で過ごす初めての桜は、どこで咲いているのか、ふたりはまだ知らない。一人で過ごすことができる知恵や感性を「教養」と呼ぶのなら、二人で過ごすことができる呼吸や連携を「ダンス力」と呼ぼう。ヒトとして生まれる変われるなら、次の俺はサッカー選手かダンサーを常々希望している。4日目。二人の時間もメリハリが利いてきた。阿吽の呼吸でキモチをお互い感じ合えている、ダンス力がついてきた。「待つ」ことができるようになってきたし、待った方がいいことが多い。ひかりは歩くのが遅かったり、気まぐれだったり、興奮気味だったりするが、強制するより少し待つだけで、その後のお互いの関係性が違う。昨晩、もし母親が死んでしまった父親は、小さな子をどうやって育てるんだろうと思って天井を見ていた。事件や病気や震災や難儀なことが起きているヒトがこの世に大勢いるはずで、それを当事者でない自分は、想像力なく、他人事で受け止める。大事なあいつが死んだとき、大切な家族を失ったとき、お世話になった尊敬する人が旅立った時を思い出した。その時の俺の暫くは、その前後でセカイが90度くらい傾き、闇がやってきた。その後を「元気」という魔術を取り戻し、日常に合流することが出来るまでは、記憶がないがいつの間にか無人島から有人島に漂着していた。子育てに不慣れな父親と幼子だけの暮らしは、沢山の涙と汗がでる毎日だなと想い、今も懸命にやっている誰彼を、少しの想像してみた。そんな夜中を開け、4日目の朝が来た。

会いたいヒトがいないセカイは、桜の色も違って見える。もっと踊ろう。「ラ・ラ・ランド」みてみたいなー。