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一年間の活動が終わった。始まりは、何かやろうだった。好きなことは何。やってみたいことは何。と、ちょうど一年前頃、BRUTUSの写真特集を手にし、写真についての言い知れぬ期待とワクワクがあった。奥の深さを感じ、偉業と思い、カメラを撮る活動に大きな憧れがあった。森山大道がカッコイいとおもい、ホンマタカシの海写真のposterを家に貼り、アラーキーは巨根のごとき存在感だった。
m.シューゴは、大阪で出会った。よのじは横浜で出会った。どちらも仕事を通し、知り合い、若者だった。2人には共通点があった。学生時代、写真をやっていたこと、世の中を切り取れるチカラがあり、眼を持っていた。そして若者だった。馬鹿者だった。言い知れぬ雰囲気が2人から、ときより感じ、それを引き出し、そして自身の何かを引き出してもらおうと思った。オレは、若者たちの持つ、不満と希望が好きだ。何者ではない自分を何者にするのかを決める20代が、ふりかえってみれば、きっと一番楽しいはずだ。

 

制作物たちは、他者にふれられて、はじめて作品になる。触れられれば触れられるだけ、成長する。名前がつき、スタートしてから、彼らは変遷という名の成長を遂げ、解き放たれた。不器用で真っ直ぐなよのじは、多彩な変化球を持つm.シューゴに憧れ、世を違った角度と覚悟で対峙するm.シューゴは、ストレートの持つ強さを知る。そのやりとりは、ミクロなセカイで表現され、オレは見届けさせてもらえた。ひとえに、このような企画に参加してくれた、2人の勇気と優しさに感謝している。まかれた種は、俺は誰かに届くと信じ運び続け、2人もこの種が何かのカタチで咲くはずだ。ありがとう。