『今日』のイノチ

 

『今日』、職場にて、母が癌となり、父はいないので自分が支えなきゃいけないと眼を腫らして、伝えてくれた人がいた。『今日』電話を受け、容態がどうやら大変なことまで知り、職場に迷惑を掛けてしまうかもしれないことをお詫びしていた。25歳の彼女が、お母さんを大事にしていたことは、日常会話で知っていたので、どれ位ツライ電話だったのか、そのことをお母さんから電話で聞くということがどのようなことなのか、想像した。腫らした瞼の奥にある、哀しみと私が頑張らねばという気丈さが混じり合っているような目を見た。古今東西、老若男女、死はいつのときも、誰にもやってくる。来るはずないと思っていたお便りが自分や自分の大切な人に届く『今日』がある。僕にはそんな『今日』が、いつくるのだろうか。僕の大事な人たちにはいつ、そんな『今日』が届くのだろうか。親より子が先に死んだり、小さい子を残して親が死んだり、理不尽な非業な死があり、愛する人はいつ亡くなっても自分の身体がなくなるくらいの痛みだろう。自分自身が先に死ぬ場合、愛する家族を思い、涙は止まるだろうか。自分自身をおいて、大切な人が旅立ったら、生きていけるだろうか。親友の卓也、お世話になった白石さん、髪を切ってくれながら素晴らしい映画を沢山教えてくれた上地さん、愛犬ベル、大好きだったなつきおばあちゃん、仲間だった大柴、みんな予期せぬお別れでした。来月、新しいお子がうまれます。