ゆめ

我が家でピザを焼いた。生地をこねこねし。手触り、手作りを大事にしていくことを家人からこれまで沢山教えてもらった。消費することだけでも生活はまわるけれど、そういうセカイの空しさを早めに自覚して、暮らしている人々も沢山いる。都会的なそういう感覚が染み付いた、自分らしさと現実と誤摩化しのバランスを、もう目を背けられなくなってきた。何かを失う勇気なくして、得れるものなんてないと一層言い聞かせも必要な脱皮シーズン。レーズンを初めて食べた時のように、感覚が生々しいウブさを得るには、「誰かから」→「自分で」の%をあげることがコツだと思う。そのシーズンは、板に付くまではしばらく続くだろうが、自分の暮らしにもっと責任をもつために、かける努力の掛け方を、見謝らずいかねばと今は視界良好だ。「お金をかせぐ」のは大変だなと思いつつ、なんとなく心も消費しながら、進む毎日。多くの人の悩みコトでもあると思うので、新幹線に乗っている今、周りの乗客も仲間なのかと、一人目を細めて座っている。最近読んだ本で、高山みなみという料理人の本が凄く面白かった。それこそ手触り、心触りを主眼にし、人を見、料理を作っていて、優しい生き方をしていると共感した。山城新伍の「おこりんぼ さみしんぼ」という若山富三郎、勝新太郎兄弟のエッセイも笑えて、泣けて超絶面白し。表現者の繊細さと豪快さが同居した著名兄弟のエピソードは、痛快愉快であり、自由さと勤勉さの二つを教えてもらった気分だった。この本は、水道橋博士の本で推挙があり、購入し、しばらく読めず、今年になって改めて読んだ。誦呪つなぎのように、出会いはあり、重ねてタイミングがスパイスされる。食べること、表現することが好きだと分かった今、やりたいことやろうと思っている。

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    kXvrbKwH (金曜日, 08 10月 2021 12:01)

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