昭和を生きたから

ふと、自分が何で出来たかを考える。立川談志が「いろんなマネやパクリを集めて、その集積が人それぞれ違い、結果個性となる。最初からオリジナリティなんてもんはない」的なことを言っているのを聞いて、「そうなんだ!」と思ったことがあった。この話は、昔から好きで、いまだに繰り返しふれているぐらいだ。自分が何で出来たのかを考える。

そう、『昭和』。長渕剛のアルバムタイトルもあったっけ。昭和でカタチヅクラレ、平成をツウカシテイル最後の世代だと自認している。そして、昭和が好きな二人が我が家にアソビにやってきた。根っこが近しいと安心する。根っこが遠いと警戒する。昭和は、どこか不便で、手触りや温もりをどこかに残す。余韻も余幅、油断も無駄もアソビと捉える。最短距離だけを求めない。汗臭く、ダサい。人情なんてものを大事に出来る。あげれば切りがない。ゆうこさんはフォークソングを、ようちゃんは講談や落語を、今大事にしている。

ドラマ『北の国から』も昭和を彩るカタチ。田中邦衛さん演じる、ごろうさん、一生懸命に無骨に命燃やしている、厳しい自然の中で。倉本さんはじめ制作者の情熱は、自然と暮らしと恋と友情と家族と子育てを真正面から向かい合い、『生きる』を色濃く見せてくれる。昭和のおかげで、俺は今も目に見えない何かを大事にしている。と思う。